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プロフィール
兵庫県出身
97年に信州にIターン 安曇野市在住 ホームページ 写真工房 道 リンク集 平野虎丸のブログ 林野庁の林業暴走 山と野鳥が大好きなAmamiさんのフォトブログ フォトダイアリー信州 安曇野通信 日本アルプスの情景 カテゴリ
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週末から撮影で妙高高原に行ってきました。好天にも恵まれ、爽やかな芽吹きの森を満喫してきました。こんな天気のいい日は夜明け前のまだ暗いうちから森に入ります。東の空がオレンジ色に染まる頃、今の時期なら4時ごろです。日の出前後の慌ただしく変化する状況を夢中で追いかけてるとあっという間に時間が過ぎていきます。そして陽が高くなり撮影が一段落すると眠くなってくる。それから午後の陽が傾く時間までは昼寝をします。残雪の上に小枝を集めたベッドを作り、木漏れ日の差す森で鳥のさえずりを聴きながら眠る最高に贅沢な時間です。 ![]() このあたりの森は人がかつて利用し伐採を繰り返して奇形となった「あがりこ」と呼ばれるブナと、人が利用しなくなって放置された後に実生により生まれたと思われる若いブナが混在しています。人が関わったということでは原生の森とは違う趣ですが、人間に伐られても伐られても再生し、子孫を残す森の生命力を感じます。手入れだ、整備だ、森づくりだと、人間はあたかも自分たちが森をつくってきたように振る舞ってますが、本当は人間が森を壊してきたんだと言うこと、森は人がいなくても森であり続ける。という当たり前の事実を再認識することが出来ます。 個性豊かなブナ達を紹介します。 ![]() ![]() ![]() 超人バロムⅠに出てきたドルゲ魔人のことです。 【PR】
ブナの森に大きなツバメが? ![]() 今年も我が家にツバメが帰ってきました。 ここ数年は僕と近所のガキどもの努力もむなしく、他の大きな鳥に雛をやられています。もうここへは来るな・・という思いが通じたのか、去年は子育てをしなかったのでした。最近また巣の周りを飛び回ってます。崩れて小さくなっていた巣もいつの間にか補修されています。そして今朝、騒がしいほどの声で起こされて窓から外を見ようとすると、なんと!バタバタと家の中を飛び回ってる!どうりで騒がしかったはずだ。そのうち出て行くだろうと窓を開けておいたら、出て行くどころか二羽に増えた。吹き抜けになってる空間を二羽のツバメがバタバタと旋回している。なんとか出て行ってもらおうといろいろ試みたがダメで、特にこの森の緑が気に入ったようで何度追い払ってもバタバタと旋回して、この写真の前に戻ってくるのでした。とうとう出掛ける時間になったがツバメは相変わらず居座ったまま。しかたなくサッシ全開のまま出掛けるはめになってしまった。 ![]() 昼頃になって戻ってみると、誰もいなくなった部屋に飽きたのか、ようやく出て行ってくれたようで元の巣の上にとまってました。ツバメは人間の側が一番安全だと知ってて人家に巣を作るそうですが、本当は他の鳥たちと同じように森が好きなのかもね。 それにしても、ツバメに気に入ってもらえるとは・・・ いよいよ僕の写真も本物やなぁ〜と、困ったような嬉しいような朝でした。 【PR】
11〜12日に撮影で妙高高原へ行ってきました。家を出るときには雨だったのが、高原に着く頃には雪に変わってました。それにしてもこの寒さは予想外で、雪が吹きつけたり陽が差したりの荒れた二日間でした。 ![]() ![]() 不安定な天候の中でほんの一瞬射した朝日。こんな時には逆光方向に被写体を探すのがいいですね。芽吹きの色がキレイに出ます。 ![]() 期待した芽吹きにはまだ早く殺風景な森でしたが、葉がないので樹の形がよく見え、この時期ならではの写真も撮れました。安曇野からアルプスの残雪模様を探す雪形ウォッチングというのがありますが、この時期の森で樹の形を見て勝手に名前をつける樹形ウォッチングもおもしろいですよ。 マンモスやトトロや森の大巨人や森の妖精にタコの宇宙人など、僕が名づけたブナたちです。その中から今しか見れない森の大巨人を紹介します。 ![]() 【PR】
![]() 白池での撮影二日目のこと。早朝からの霧も午前中には晴れ、暖かくなってきたので昼寝をした。倒木の二股に分かれた幹の上に寝転がるとちょうどうまく背中が収まった。前日も充分に寝ているのに、またすぐに眠ってしまった。しばらくして鳥のさえずり以外の物音に気づいて眼が覚めた。腹筋運動をするように頭を起こすと靴と靴のあいだを大きな白い獣が歩く姿が見えた。ウソっ!シロクマ?一瞬まだ夢を見ているのかと思ったがもちろんそんなはずはなく、上体を起こしてよく見ると、まだ冬毛をまとったカモシカだった。左の方からスタスタと歩いてきて、僕が上体を起こすと同時にむこうも立ち止まりこっちを見た。何処かで同じような場面が・・・アニメ映画「もののけ姫」でアシタカが森で初めてシシ神に出逢ったシーン。それと歩幅もスピードも同じだった。 ![]() 頭の下にあったバッグからデジカメをとりだし手持ちで撮影。ところがこの状況ではカモシカにピントがこない!マニュアルでピント合わせも出来るはずだが、やり方がわからない。こんなとき使い慣れないオートフォーカスはやっかいだ。あれこれ考えてるうちに三脚についたままのペンタックス6x7が隣にあるのを思い出した。始めからこっちを使えば良かった。やっぱりまだ寝ぼけてたようだった。この距離だとカモシカは固まったまま動かないが、ある距離を超えると一気に逃げてしまうので、ゆっくりとブナ林の緑が背景になる位置まで回りながら近づいた。僕とカモシカ以外誰もいないので「シシ神さま〜 もうちょっと右〜」なんて言ってみたら、なんと!本当に二、三歩動いてまた振り返ったのでビックリした。ホンマにシシ神かい! 山でカモシカに出逢うことは珍しくないけど、車で移動中の林道だったり、急勾配の斜面だったり。それに僕が使う中判カメラは三脚とミラーアップが必須で、動物撮影はハナから眼中にない。残雪のブナ林で冬毛をまとったカモシカに、しかも三脚にカメラをセットした状態で出逢ったのはホントにラッキーでした。撮ろう、撮ろうとガツガツしてもチャンスは来ないもの。たまには昼寝でもしてみるもんですねー。 【PR】
ゴールデンウィークで賑わう場所を避けて雨飾山麓の白池に行ってきました。この時期の白池への道路にはまだ雪があるので車を止めてしばらく歩くことになります。シュラフ持参で二日間池の畔の休憩小屋で過ごし、そこを拠点に周辺を歩いてきました。予想通り撮影者やハイカーの姿はなく、静かな白池の森を満喫することが出来ました。初日は風が強くて日が差すでもなく雨が降るでもなく、ただ寒かったのでシュラフに入ってゴロゴロしてました。こんなことはよくあることで、夕方にはいつの間にか眠ってました。眼が覚めるとあたりは真っ暗。ほんの一瞬、自分の状況がわからなかったけど、すぐに気がつきシュラフに入ったまま時計を見ると、まだ夜の8時過ぎだった。こんなときなぜか嬉しくなる。次に眼が覚めて時計を見ると、まだ12時。まだまだ夜は続きます。ずっと聴こえて いた流れの音に雨の音が加わり、ひんやりと霧が流れているのを感じる。朝霧に包まれた朝への期待と同時に、このまま朝がこなければいいのに・・とも思う。写真を撮りに来たのに朝がこなければいいとはおかしなことだが、ホントにそう思うのだからしょうがない。森の朝は勝負の刻。本番前の緊張感と朝への期待にワクワクしながら眠る長い夜が一番好きです。 ![]() ![]() それが今のところのデジタルの位置づけかな。 【PR】
田淵行男記念館での写真展が始まり、地元ケーブルテレビの取材を受けました。インタビュアーの女性と写真を見ながら森について語る30分の番組です。ローカルな番組ですが写真展以外で森の真実を伝えるいい機会だと思ってたんですが、なかなか上手く喋れない。伝えたいことが言葉にならない。普段何気なくテレビを見てますが、言葉で伝えるって難しいですね。取材が終わったあと、言えなかったことばかりが頭に浮かび、後悔ばかりの一日でした。そのせいか、放送日を訊くのを忘れてました。まぁ いいか どうせケーブル引いてないし・・・ 見たくない理由はほかにもあって、以前にも二度テレビに出たことがあるんですが放送を見て、「うわー 足みじかー!」「へんな顔ー」「なに喋ってるかわからへん」自分が思ってる自分とテレビの中の自分とのギャップにがっかり。それほどイイ男だと思ってたわけではないんですが・・・その映像は一度見ただけで二度と見てない。あれからさらに数年経った今、見たくないよー!テレビの中の自分にがっかりしそうで嫌ですねー 喋りの下手さにはへこみますが、写真を見れば少し自信回復! 写真はいい! 喋りは上手な人に任せて、やっぱり僕は写真で伝えた方がよさそうです。 ![]() ![]() 明日はギャラリートークの日。ちょっと憂鬱ですが、先日の反省もふまえて気楽にやってきます。 【PR】
晴天に恵まれた今日、中高年の女性三人を連れて安曇野のさくら巡りをしてきました。公園のソメイヨシノよりも個性的な一本桜が見たいというお客さんのリクエストは僕にとっても望むところで、安曇野の西山に点在するしだれ桜を案内しました。実はまだ満開にはほど遠い状態だったのですが、膨らんだ莟の濃いピンク色と芽吹き始めた山の淡い色合いに春の喜びを満喫されたようで、長いこと生きてきたけど・・こんなサクラは初めてだと喜んでくれました。いつもいつも満開のサクラに出逢えるとは限りませんが、莟には莟の、葉桜には葉桜の良さがあるという八十代後半のオバアちゃんの言葉にはまったく同感で、ピークばかりを追いかけるのではなく、その日、その時の出逢いを大切にするという僕の写真、行きずりの瞬間(とき)の原点です。 ![]() 最後は池田町の陸郷まで足を伸ばしました。野鳥が広げた山桜の里、この風景にオバアちゃんも一番感激したようです。 引き続き 写真展〜森の真実〜 のメッセージ文を掲載させて頂きます シカが激増した本当の原因 野生動物による農作物被害や捕殺のニュースが毎日のように報じられます。 なかでもシカの生息数が増えたと言われます。たしかに山でシカを見かける ことは多くなりました。では、何処で見かけるでしょう。林道ではないです か?鳥獣被害にはこの林道が深く関わっています。 野生動物の生息数が増える原因といえば、餌となる生き物が増えて補食機会 が増えるか、天敵が減って食べられる機会が減るかのどちらかです。後者に 関して専門家の先生がいろんな解説をしています。オオカミがいなくなった からとか、人が狩猟をしなくなったからだとか・・・バカげた話で、ちょっ と考えれば分かることです。ニホンオオカミが絶滅したのは100年以上も 前のことです。それ以前にも、もともとオオカミは雑食性の獣で小動物など を主食としており、シカなどの大型の獣を集団で狩りをすることはそんなに なかったそうです。人間が狩猟をしなくなったから・・というのも疑問です。 鉄砲が伝来したのが約400年前、その後の鎖国を経て大量に鉄砲が入って くるのはずっと後のことです。一般の人が狩猟で使うようになるのはさらに 後のことで、近年になり人が狩猟をしなくなったから・・・といいますが、 実際には鉄砲でシカを撃っていたのは数十年間にすぎません。シカは昔から 日本に生息していた動物です。それ以前にどうしてシカの生息数が保たれて いたのか、どちらの説もシカが激増したことを説明するには苦しい解説です。 そんなことよりもはっきり言えるのは前者の理由によるもので、補食機会が 増えたということです。草食動物であるシカの補食機会が増えるというのは 行動範囲が広がったということです。それまで獣道を移動し、その周辺で補 食していたシカが、大規模に行われ出した林業により林道や作業道が山のい たるところに開けられ、それを使って移動することで飛躍的に行動範囲を広 げたのです。 おまけに林道建設による伐採により林間に光が射すとそこに草が生えます。 林道脇の法面で草を食べてるシカをよく見るはずです。シカにとっては餌場 と高速道路を同時に与えられたようなものですから爆発的に生息数を増やす ことは容易に想像できます。奥山で林業をして、人が林道を整備すればする ほどシカは増え続け農作物に被害を与える。だから、シカを増やしている張 本人である林業者がシカによる被害を訴えるのは筋違いというものです。 シカが増えた本当の原因ははっきりしている。にもかかわらず温暖化で・・ とか、オオカミが・・とか、いい加減な話でごまかし、真実を伝えないのは 何故か。奥山で行われる粗悪な木材生産につぎ込まれる補助金や森林税、林 道建設やその維持・整備、治山・治水のためのダム建設など・・・ 壊しては直すことを繰り返し利権を生み出すシステムとその利権に群がる政 治家や企業、林業者たち。それを後押しする御用学者、シカやクマなどの害 獣報道を大げさに広め、物言えぬ動物を悪者にするマスコミ。原発問題と同 じく、利権で繋がる関係がここにもあります。森は自然が育てるものではな く、人が造るものでなくてはならない理由が彼らにはあるのです。 野生動物は森を壊したりしない。森を壊せば生きていけないことを知ってい るから。壊れるまで食い尽くすのは人間だけです。 【PR】
写真展「人は森に生かされている」が明日から田淵行男記念館で始まります。 この作品は二年前の公募展で「山と渓谷賞」をいただいたものです。フォトコンが好きじゃない僕の唯一の受賞歴です。今回の展示は僕自身が楽しみにしています。と言うのも、普段の写真展ではプリントから額縁制作も展示もすべて自分でやります。準備には時間がかかり、苦労したぶん作品に対して愛着も湧きます。だからたぶん客観的には観れないのでしょう。今回はプリントにも展示にも僕は一切タッチしていません。そういう意味ではまるで他人の作品展を見るような気分かな。ちょっと不安な気持ちもあるけど楽しみです。 受賞作20点以外にも近作を展示するスペースを頂きましたので、そこには写真工房 道 オリジナルの大作2点を展示します。そちらも楽しみにして下さい。 イオンホールで好評だった写真展 〜森の真実〜 は穂高ビューホテルで開催中です。落ち着いた雰囲気でゆっくりとご覧頂けると思います。 ![]() ![]() ![]() ![]() 荒れた森 まるで力尽き倒れたマンモスの死骸を想わせる。そういえばこの森の近くの 野尻湖周辺はナウマン象の化石で有名です。もしかしたらこの森を巨大なマ ンモスが闊歩していた時代があったかもしれない。そんな想像さえ膨らむ潤 いに満ちた森です。下草が茂り、老木には蔓が絡みつき、折れた枝や倒木が 人の立ち入りを拒むような鬱蒼とした森。そんな森を人は「荒れた森」と言 うが、本当にそうでしょうか? 人が手入れをしない人工林で蔓が木を枯らしていくのは、本来そこにあるべ き自然の樹木が人間が植えた不要な木を淘汰し森が復活してゆく過程の姿な のです。倒木も折れた枝も落ち葉も、最後は土中の微生物に分解されて豊か な腐葉土となります。森に降った雨は長年にわたり繰り返されてきた生き物 たちの営みが染み込んだ森の地層で涵養されて有機ミネラルを含んだ飲み水 となる。老木に巻き付いた蔓さえも役割を終えた樹木の最後の命を吸い取り、 森の世代交代を促しているように見える。ここには無駄なものはなにもない。 世代を越えて繋がる命は、まるで森という一つの生き物のようにも思えます。 人は流れ続ける時を時節で区切り線を引く。それぞれの命に名前を付け、人 の寿命という短いスパンでそれぞれの生死を語るが本当はそうではない。 名もなく線もなく、すべての命は繋がっている。生きることは死ぬことであ り、死ぬことは生まれること。そうして森は気が遠くなるほどの長い時間を 生き続けてきた。ほんの一握りの人間が、一時の利益のためにそれを断ち切 ることは結局は人間の利益にはならないのです。 人は森がなければ生きていけない。 人も森から生まれた命のひとつだからです。 あがりこの森 人間が壊した自然は人間の手で元に戻すべきだと、植林や下草刈などボラ ンティア活動に参加する。それも一つの考え方でしょう。でも、その善意 は正しく森に作用しているでしょうか? パフォーマンス的な植林イベントに大勢で押しかけ、自然に成長してきた 雑草を刈り、人間好みの木を植え、その後は人が手入れをする。それでは 人工林のスギが広葉樹に代わっただけで、相変わらず山の手入れに金がか かり、そのための林道を維持することがどれほど森の循環の妨げになるで しょうか。失った時間は二度と元には戻らない。人が思うような元に戻そ うとすることが既に人間のエゴなのです。人類が誕生する遙か前から脈々 と生き続けてきた森。その歴史に人が一時的な変更を加えたとしても森は その時点からまた、より安定した姿に向かって遷移を続けるでしょう。そ れが自然ということです。少なくとも人間の経済的な価値観が介入すべき ではない気がします。 かつて人が炭や薪として利用したため萌芽再生を繰り返し奇形となり、そ の後その役目を終え放置されたあがりこブナの森。それでも逞しく生き続 けるこの潤いに満ちた森がそのことを教えてくれます。人が手を入れ整備 をして、森のようなものをつくったとしても、そんなものに森の代わりが できないことは明らかです。多発する土砂災害や鳥獣被害、水源の枯渇な ど、現在起きている様々な問題が証明しています。人間が壊した森への反 省があるなら、将来子孫たちが同じ過ちを繰り返さないためにも、森は人 がつくったものではないと言う当たり前の事実を認識することのほうが遙 かに大切なのです。 【PR】
写真展でメッセージを発信する者として、その反応は気になります。お客さんが写真を観るように、僕はお客さんの様子を見ています。正面から見たり斜めから見たり、近づいたり離れたりしながらプリントに興味を示す人、手作りの額に興味を示し裏側を覗く人、興味の対象は人それぞれです。撮るだけでなく、プリントも文章も展示も含めて個展そのものが作品だと考える僕にとってはどれも嬉しい反応です。中でも多くの方が写真展とは思えない長い文章を熱心に読んでくれ、そのほとんどの人が言葉をかけてくれたのは予想外の反応で、とても嬉しいことでした。写真展も回数を重ね、少しづつですが伝わっているという手応えを感じます。 でもそれは写真展を見に来てくれた会場内でのこと、写真や森など共通の価値観を持つ人の中での話です。ショッピングセンター内の会場では一歩外に出ると、その何十倍も何百倍もの無関心さという現実にも直面します。いつものことですが、会場の外からのぞき込んでる好奇心旺盛な子供の手を無理矢理引っ張って買い物に急ぐ母親にはがっかりします。親が関心ないのは仕方ないけれど、子供の機会まで奪うなよ・・・つかみかけた微かな手応えなどどこかへ吹っ飛び、無力さを痛感します。 人の価値観はそれぞれだから・・・それが自由と民主主義なんだと当たり前の言葉で納得してみても、それでは救われない。アートや趣味の世界ならそれでいいし、自分の一生で責任がとれる範囲ならかまわない。でも、それでは済まないこともある。何世代も先の未来にまで禍根を残す問題に自由などないし、価値観を一つにしなければならないこともある。生態系を保全するとはそういうことだし、そうしなければ人に未来はない。いま起きてる問題を正しく理解するには過去の過ちを認めることを避けては通れない。その痛みに耐えるには、脱成長という現代人が経験したことのない思想の向こうに未来を描ける想像力が必要です。やっぱり教育なのでしょう。知識ではなく、気づく感性を養うことだと思います。 気づいた人がそれぞれの感性で共通の価値観を伝えていく。 写真や音楽や映画も小説も・・・そんな力になれればいい ![]() 引き続きメッセージ文を掲載させて頂きます。 水の循環 葉っぱや草についた朝露は気温の上昇と共に蒸発し、霧になり雲になり 上空で冷やされまた雨を降らせる。奥山の源流部に降った雨が大地に染 込み、地下水として数十年、あるいは百年以上もの長い時間涵養された 後に湧き水として地上に出るものもあれば、朝露のようにその日のうち に蒸発するものもある。水は形を変え、長短さまざまなサイクルで循環 しながら森の湿度を保っている。人間はあらゆるところでそのバランス を崩している。原生林伐採と針葉樹の植林により豊かな森を保水力のな い人工林に換えてきた。下草も生えない渇いた森に雲は湧かず、雨は降 らない。そしてひとたび大雨が降ると今度はそれを吸収できずに土砂崩 れなどの災害となる。そのためコンクリートのダムが造られたが、貯水 は出来てもダムに溜められた水は動かない。出かける前にコップ一杯の 水を玄関にこぼしてみれば、帰ってくる頃にはとっくに乾いている。で もコップのままだとおそらくそのまま残っているでしょう。もちろんこ れは山だけの話しではなく、里でも都市でも同じです。田んぼが減り、 アスファルトで固められた道に雑草はなく水たまりもない。降った雨は すぐにコンクリートの側溝に流れ地下に潜る。地表に水分がないから、 どんなに日差しが強くても雲は湧かず雨は降らない。子供の頃の夏には 毎日のように夕立がありました。近年、夕立がなくなったと感じてる人 は多いはずです。にわか雨で冷やされないまま夜になり、翌日は朝から 気温が高く、その後の日差しで更に上がり続ける。近年の夏の異常高温 の原因はそんなところではないでしょうか。気温と降水量が変化すれば 植物分布も変化します。乾燥に弱い広葉樹が夏場に枯れるナラ枯れ現象 もそのひとつかもしれません。 【PR】
豊科イオンホールでの写真展が終わりました。ご来場いただいた多くの方から感想や励ましの言葉をいただき、ありがとうございました。最終日の18時に終了後すぐに搬出し、次の展示会場の安曇野穂高ビューホテルへ向かいました。展示を終えて帰宅したのは23時。最終日は特にお客様も多くホントにハードな一日でした。無理をせず、中一日おけばよかった〜!いつまでも若くないことを痛感した一日でした。5月9日まで穂高ビューホテルの2階廊下に展示しているので、イオンホールで見逃した方は是非見て下さい。イオンと違って静かで雰囲気のあるホテルでは少し暗めの照明で落ち着いてみれると思います。
ポストカードの販売もしています。もちろん作品もね。 ![]() ムシ食い 人は木を植えると、虫に食われないように殺虫剤で虫を殺します。除草剤で 雑草を退治し、下草を刈り、植えた木だけを大事に育てます。当然、手入れ を怠ると雑草や雑木などほかの樹木に負けてしまう。それが今の人工林です。 自然林の樹も虫に食われます。芽吹いて間もない柔らかな若葉も虫に食われ て穴だらけです。でも、そんなことで樹は枯れないし、虫も樹が枯れるまで 食いはしない。樹が枯れて困るのは自分たちだから。そんなことを虫たちが 知っているとも思えませんが・・・ 他の生き物も同じです。シカもクマも鳥たちも森がなくては生きられないこ とを知っている。食ったり食われたり、育てたり育てられたり、微妙なバラ ンスを保ちながら森は生きている。お金という価値観を持った人間は「自分 さえ良ければ・・ 」「 今さえよければ・・」と採り尽くし、食い尽くし、こ のバランスを崩している。節度がないのは人間だけです。地球上でいちばん 頭がいいと思っている人間は実はいちばん愚かな生き物なのかもしれません。 自己施肥 自然の森では、樹木の葉を昆虫が食うことで落葉やその糞が肥料となり、土 が肥えます。昆虫を餌にする鳥や動物が育ち、それら動物が移動することで 植物の種を広げます。動物や鳥の糞も土の養分となり、死骸もやがて土に還 ります。森の栄養豊かな腐葉土は長い間のそうした森の営みにより出来たも のです。植物は光合成により他の命を必要とせず成長できる。ところが、こ のように虫や動物たちが集まり森として機能することによって自らに肥料を 施し、その成長は飛躍的に加速するのです。このことを自己施肥といいます。 森は樹木だけで出来ているわけじゃなく、森に生きる鳥や獣や昆虫や土中の 微生物まで、多くの命が絡み合い互いに関与しながら生き続けてきたのです。 すべての命を排除し、人間に有用な木だけを育てる人工林は木材の畑であり、 いくら手入れをしても本物の森にはなり得ない。命を生み出す森とは本質的 に違うものなのです。 【PR】
今日はこのブログを見て森の写真を見にきましたという赤ちゃんを抱いた女性が来てくれました。親子で来て熱心にメッセージ文を読んで野生動物による食害のことがわかりましたと言ってくれた女性など、見に来てよかったという嬉しい言葉を頂きました。やっぱり女性の方が感覚的に環境の危機を感じてるのかな?その点、男はアカン! 屁理屈ばかりで・・・そう言えば環境問題に取り組んでる知り合いを見ても圧倒的に女性の方が行動的です。女性パワーに期待します。 ![]() 植物は命の源 動物も鳥も魚も昆虫も、生き物はすべて他の命を食べなければ生きられない。 肉食動物は草食動物を食い、草食動物は植物を食う。では植物は? 植物は水と土と太陽光から炭水化物を育成し成長する。光合成という植物の みが持つ働きです。つまり植物は生きていくのに他の命を必要としない。 太陽光は地球外から来る純粋で無限のエネルギーです。それを命に変えるこ とが出来るのは植物だけ。植物がなければ他の生命は存在しない。 それなのに・・・人間は金にならないからと雑木林を伐採し、見苦しいから と除草剤で雑草を根絶やしにする。なんと愚かな行為だと思いませんか? 環境変化のバロメータ 動くことの出来ない植物は、自由に移動して生活圏を変えられる動物と違い 生まれ落ちた地に根を下ろしそこで生きるのが宿命です。それぞれが気温や 雨量、日照時間や風の強さなど様々な条件に左右され生きています。南北に 長く標高差も大きい日本列島ではその種類も多く、複雑に分布しています。 注意深く山を歩けば、人間には感じられないちょっとした変化でも植物の植 生が変わることに気がつくでしょう。植物は生まれた環境に依存して生きて いくのです。それだけ環境変化に敏感です。高度な文明を持ち、どんな環境 にも適応して生きていける現代人はそれだけ環境変化に鈍感です。だから植 物の声を聴くことが重要なのです。植物本来の生育環境を無視し、人間本位 の利益のために原生林伐採と人工林化を進めてきた林野庁による森林行政は まさにに愚行、自殺行為というものです。 【PR】
今日も多くの方が見に来てくれました。初日から何度も友人を連れて見に来てくれた方、仕事の合間に立ち寄り持ち帰ったメッセージ文を読んで、あらためて写真を見たくなったと来たくれた女性や七代先のことまで考えて生活をしているインディアンの話しをしてくれた年配の女性、今日もいろんな方と話しが出来、充実した一日でした。 展示風景をご紹介します ![]() 雑木林の樹木はなぜ曲がっているのか? それは曲がる必要があるから曲がっているのです。 木漏れ日が差す森 自然の森では、寿命を迎えた古木や台風による倒木で出来たギャップを 埋めるように周りの樹々が枝を伸ばします。その枝と枝は重なることな くパズルのように空間を埋め林冠を形成する。より多くの光と雨を受け るための自然の樹木の習性です。そのため成熟した森は適度に薄暗く、 夏でも木の葉越しの木漏れ日が届くくらいに適度に明るいのです。人が 手を入れなくてもスギの人工林のような真っ暗な森にはなりません。 適度な日差しと日影のある森にはそのような環境を好む陰樹の若木が育 ち、昆虫や小動物にとっても快適な森となります。餌が豊富な森に鳥や 動物が集まることは言うまでもありません。 雨の森 森の中から空を見上げると、樹木は空を埋めるように葉を広げています。 葉が受けた雨は枝から幹を伝い樹幹流という流れとなり優しく地面に染 み込みます。激しい雨が地面を叩き、土砂が削られて流出することがな いので川の水も濁らず水位の上昇も少ない。樹木が形成する林冠がクッ ションのように働き、激しい雨の日でも雨の強さをあまり感じません。 森の中は以外にも穏やかです。雨の森では、晴れた日以上に生き物たち が森に守られていることを実感できます。 雑木林の樹木は、自由に伸びる枝葉を支えるためにあらゆる方向に広く 根を張り、しっかりと大地を掴んでいます。急峻な地形で、しかも地震 や台風の多い日本の国土を災害から守ってきたのです。農耕を基盤にし た里山文化も奥山の自然林がなければ生まれなかったでしょう。建材と して高く売れるという人間の経済的な価値観は自然界の価値とは無関係 です。曲がっていても、綺麗じゃなくても、そこに生まれ育つものはそ れぞれに価値があり、なんらかの役割を担っているのです。 ![]() 曲がれない樹のこと スギやヒノキの人工林はなぜ真っ直ぐなのか? 寒冷地や乾燥した土地に多く見られるのが針葉樹の森です。日本は多く の木材を輸入していますが、建材となるとロシア、カナダ、アメリカ、 北欧などの寒冷な気候の国々です。シベリアに広がるタイガの森は日本 の国土の約25倍の面積を持つ針葉樹の森で、ほぼ100パーセント自 然林の森には原生林も多く残っているそうです。永久凍土の森では樹木 は短い夏の間だけ氷が融ける浅い活動層に根を張ります。そのため20 メートルの樹高に対し根の深さは2メートルもなく、平坦な地形で台風 もない大陸だからこそ立っていられるんだそうです。優れた建材になる 寒冷地の針葉樹は、真っ直ぐに育つ性質を持った「曲がれない樹」とも 言えそうです。 話しを日本の人工林に戻します。真っすぐ伸びる性質を持った針葉樹を 更に密植すると、横に枝を伸ばせない分より早く上に成長する。枝を張 らずに真っすぐ伸びれば支える根も育たない。そんな樹を急峻な地形で 雨量も多く台風も頻繁にやって来る日本の山に植林すればどうなるか、 今日の土砂崩れが頻発する山はなるべくしてそうなったと言えます。 深刻な環境悪化をもたらした人工林ですが、日本の人工林にはもうひと つ木材としても大きな問題があります。寒冷地に育つ針葉樹を温暖な日 本で密植すると早く育ちます。成長が早いというのは戦後の復興期に建 材や電柱材として急速に高まった木材需要に応じるにはメリットかもし れませんが、良質な木材という意味からはマイナスです。寒冷地でゆっ くり時間をかけて育った木が良質な木材となるのは建材輸出国や国内の ブランド建材の産地を見てもあきらかです。 急斜面に植林した人工林材は品質が悪く、搬出コストもかかるためタダ でもいらないというのが現状です。もともと日本の急峻な地形と温暖な 気候は建材に適した針葉樹が育つ環境ではないといえます。自然の状態 では広葉樹や照葉樹の雑木林なのだから当然といえば当然ですが・・・ 自然に育った雑木林を伐採し、ところかまわず針葉樹を植林してきた日 本の林業は始めから産業として成り立っていなかったということになり ます。日本の林業が衰退した原因として専門家たちが口を揃えていう 「人が手を入れなくなったから・・」とか、「 安い外材に押されて・・ 」 という定説も疑問です。林業が盛んだったかつての黄金時代を懐かしむ 声も聞こえてきますが、それはそれまで自然に育っていた樹を、あるい は先人たちが育ててきた山のストックを当時手にした動力を使って大量 に伐採・運搬できるようになり、そこへ戦後復興の木材特需が重なった だけのことで、木材バブルといってもいいでしょう。雑木林を伐採し、 そこへ針葉樹を植えて育てるという日本の林業が産業として成り立った ことは一度もないのです。 ちなみに外国の建材輸出国では、育てて伐るという発想はないという。 もともと広大な針葉樹の森で自然に育ったものを利用しているだけなの でコストがかからないのも当然です。 【PR】
写真展が始まって3日目、多くの方に来場頂きありがとうございます。撮影地のことやプリントのこと、そして手作りの額縁のことなど多くの方と話しが出来、充実した三日間です。さすがに家に帰るとぐったりですが・・・今回の展示は29枚の作品と18枚のメッセージ文で構成されています。先に伝えたいメッセージがあり、それをイメージ出来る写真をセレクトしました。多くの写真展とは逆のパターンだと思いますが、伝えたいことがあるから写真で伝える。僕が口でいくら喋っても伝えられないけど、自然の力を借りて伝われば・・・これが僕の写真展です。会場で写真を見ながら読むのは大変だと思いコピーを用意したのですが、予想した以上に熱心に読んで下さる方が多く、それが一番嬉しいです。
これまでいろんな方と話してみて思うのは多くの人が本当の森を知らないということです。ある程度予想してましたが、森というのは植林によって出来たものだとか、人工林のスギも自然に生えたものだと思ってたのには驚きます。長野県の人ですらそうなのだから、都会で生まれ育った人はもっとそうなのでしょう。実際に兵庫県に住む僕の身内や知り合いの多くもそうでした。今起ってる問題をどうするかを考えるためにはまず本当のことを知ることです。こんな写真展をやっていく意味があると感じた三日間でした。 会場に来れない方のために展示風景とメッセージ文を紹介します。 ![]() ![]() 雑木林と人工林 かつてブナはいちばんふつうの雑木だった。しかし、曲がりくねった 雑木は建材として使いづらく、役に立たない木として伐採され炭や薪 として燃やされてきた。代わりに植えられたスギやヒノキなどの針葉 樹は建材としての歩留まりがよく高く売れるため植林が奨励され、戦 後の木材特需と各地で建設された大型林道による伐採や運搬作業の効 率化も加わり、みるみるうちに日本中の雑木林は伐採され、現在では 全森林面積の四割以上が人工林になってしまいました。この数字は道 路もない最深部の森林も含んでのものです。一般の方が普段目にする 印象ではほとんどが人工林だと感じているのではないでしょうか。 都会で育った若い世代ではそれが人工の森だということすら知らない かもしれません。 関心のないままに奥山に広がる自然破壊。 都会のようにそれがコンクリートならわかりやすいのですが、同じく 緑の木があり、森林という同じ名前で呼んでいることがこの問題をわ かりづらくしています。まずは知ることです。緑の着ぐるみを着た自 然破壊の正体を。この地球に生命が誕生して以来、人類よりも遙かに 長い時間を生き、多くの命を育んできた本当の森の姿を。 【PR】
今日、作品の搬入作業が終わりました。何度経験しても無事に終わるとホッとします。展示作業を終えて、あらためて展示作品をじっくり観ます。つまり僕自身が最初のお客さん。自分の作品だけど家で見るのと違って新鮮で、まるで他人の作品のように、この時が一番客観的に観れるのです。 自分で言うのもなんですが・・・いい出来ですよ〜! ![]() ![]() ![]() 会場では多くの方と話しをしたいと思ってます。気軽に声をかけて下さい。 会場内の風景や作品の撮影は自由にどうぞ。ブログやフェイスブックなどで宣伝して頂けると嬉しいです。 【PR】
安曇野市内3カ所で7月まで続く森の写真展が始まります。 まずは6日から11日までの豊科イオンホールでの6日間。ここでは僕が森で感じてきたことや教えられたことを文章にして写真と共に展示しています。読む写真展と言ってもいいかもしれません。写真を見ながら読むのは大変ですが、森でいま起きていることをじっくり考えてほしいから・・・ 関心を持っていただけるならコピーも用意しているので声をかけて下さい。 もちろん写真展なので、そんなことはどうでもいいという方も大歓迎です。撮影場所やカメラ機材やプリントのこと何でも楽しく話しましょう。 ![]() 〜森の真実〜 震災と原発事故を機に自然との向き合い方や暮らし方を見直そうという機運がうまれています。政治、経済はもちろん、生き方や価値観にも、大きな変化を望む気配を感じます。原発の安全神話は完全に崩壊し、現在ほとんどの原発は止まったままです。こうなると元々の必要性まで疑問になってきます。原発推進のために政府や財界がついてきた嘘。その嘘に御墨付きを与えてきた学者、電力消費を煽るばかりで真実を伝えないマスコミへの不信感。利権で繋がるこの四者の構造はこれだけにとどまりません。原発推進の強力な追い風としてきた二酸化炭素地球温暖化説。二酸化炭素を吸収するという森の機能の一部を強調し、その目的を材木としての収益性から公益性にすり替え、これまで林野庁が積み上げてきた膨大な赤字を国民に押しつけたうえ、更に森を壊した張本人が森づくりを担っているなどと嘘を広め、人の手による森づくりを進めてきました。奥山での無駄な木材生産に関わる林業者、土木業者、役人、学者、マスコミ・・・ 原発と同じく利権に群がり自然を食い物にする関係がここにもあります。 森は人がつくったものではない。この当たり前の常識を写真で問います。林業者でも林学の専門家でもない僕がこんな写真展をやるのは勇気がいります。でも、写真は僕が見てきた森の真実です。 これまでの常識への信頼が揺らいでいます。 震災と原発事故は多くの不幸と引き替えに多くの教訓も残しました。 ウソをつくには肩書きがいるけれど、真実は誰でも語れるのです。 【PR】
被災地では大量の瓦礫処理が進まずそれが復興の妨げになっているという。
ガレキと呼ばれるものはもともと自然界で別の形で存在していたものを人間が形を変えて表に出したものです。豊かな暮らしのためにつくり出したものが朽ちないガレキとなり復興を妨げているとは皮肉なもので、自然の前で文明とはこれほど脆いものなのかと思います。森の獣や鳥たちは翌日からまたいつもどおりの森の暮らしに戻ったことでしょう。自然は自然災害では壊れない。いつも人が造ったものだけが壊れるのです。 絆で災害を乗り越え復興する。 力強い言葉が溢れていますが、元に戻ってはいけない気がする。不自由な暮らしを強いられている被災者のため復興を急ぐのはもっともですが、この機会に人間がいかに無駄なものをつくり出してきたのか、高く積まれたガレキの山をみて考えた方がいい。 これまで人間がしてきたことと言えば・・ 世界の最高峰に登り、極地に到達し、山奥に巨大ダムを造り、海に橋を架け、海底に道を通し、月にまで到達し、新しいところではハヤブサの快挙・・・自然に挑み、打ち克つことを人類の英知と賞賛してきたけど、それでよかったのか? 敵うわけないよね。コツコツと積み上げてきた人類の軌跡を自然はたった一日でいとも簡単に消してしまう。 3・11は人間が自然に負けた日。 自然には到底かなわないと認識した記念日になればいい。3・11を忘れないとはそういうことでもあると思います。 ![]() 【PR】
被災地の瓦礫の受け入れをめぐって各自治体で意見が分かれるなか、いち早く受け入れを表明した静岡県の自治体のニュースが報じられた。遅かれ早かれどうせ受け入れるならと、次々に受け入れる方向へ傾いていくのでしょうか。
そんなとき、その処理のために国有林を活用することも・・という首相の発言がありました。生活圏である都市に汚染瓦礫を入れたくない反対派への折衷案だとしたら、まったく何を考えているのかと思います。国有林には多くの都市の水源地があり、それは川遊びをしている上流で小便するのと同じことです。瓦礫に限らず、もういい加減に山にモノを捨てるという発想はやめた方がいい。天から落ちた水は森を通って人へ届くのです。もっとも政治家の皆さんは自分の任期中に問題が出なければそれでいいわけだし、いち早く手を上げていいカッコするのもいいんでしょうが、子供を持つ親なら考えた方がいい。これから生まれてくる子供が大人になる頃、日本に飲める水はあるんでしょうかね。 復興と言う大義名分のもとに「絆」という言葉が錦の御旗か黄門様の印籠のように使われる流れに怖さを感じます。 ![]() 【PR】
震災から一年、あの日の映像と共にこの一年を振り返る番組をいくつも見た。
未曾有の大災害の中で、民間人でありながら自らの命を犠牲にして人命救助にあたった多くの若者がいた。避難所での被災者同士の助け合う姿。ギリギリの土壇場でみせる人の優しさ。18年前の阪神大震災の時もそうだった。震災からしばらく経った頃に被災した友人に水を届けたときのことです。その水をアパートの住人で分け合い、それぞれが震災後の不自由な暮らしを話してくれた。その表情は明るく、なんだか楽しそうにさえ見えたことを思い出した。 「金持ち喧嘩せず」いうことわざがあるが、あれはウソだろう。人は裕福になれば人に優しく出来るんじゃない。裕福になればもっと裕福な人を妬み憎しみが生まれ、そして貧しいときにはもっと貧しい人に優しく出来るものなんだろう。近頃の若いモンは・・・と批判されがちな日本の若者も捨てたもんじゃないなという希望や、これからも益々堕ちてゆく日本も案外悪くないかも・・という思いも感じたのでした。 ![]() 4月6日から始まります。会期中はずっと会場に居るので声をかけて下さい。 感想でも、批判でも、質問でも・・多くの人と話したいと思っています。 【PR】
四月に写真展をやるといってから一ヶ月以上も経ってしまいました。今年は頑張ってブログの更新をしようと目標を立てたのに・・・早々に挫折かい!
日程だけ決まってるのになかなか構想がまとまらず展示作品の選択にも苦労してましたが、ようやくまとまってきたのでお知らせします。 4月6日(金)〜4月11日(水) 10:00〜18:00 安曇野市豊科 イオン豊科店3F イオンホール 行きずりの瞬間(とき) 〜森の真実〜 カラーとモノクロ作品 合わせて20点前後とメッセージ文を展示します ![]() 4月12日(木)〜5月9日(水) 安曇野穂高ビューホテル 行きずりの瞬間(とき) 〜森の真実〜 イオンホールと同じ内容で同タイトルですが少し作品を入れ替える予定です 4月24日(火)〜7月1日(日) 安曇野市豊科 田淵行男記念館 〜人は森に生かされている〜 2010年の公募展の入選作品20点の展示です あわせて近作も展示します。 ![]() 【PR】
四月に写真展をやることになったと先日言いましたが 日程は4/6〜4/11 会場は安曇野市豊科のイオンホール 以前はサテイホールと言っていたところです。 タイトルはいつも通り「行きずりの瞬間(とき)」 内容もいつも通り早春から春にかけての森の写真になる予定です。 今はその作品制作の最中なんですが、たて続けにあと二つ写真展を開催することになりました。ひとつは四月下旬から、もうひとつは5月から始まります。 詳細はまた後日にここで書きます。 それにしても春になると写真展の声がかかるけど・・・ 年末にアートカフェ清雅から冬の写真を依頼されて四点ほど展示したのですが、オーナーからは「へぇ〜 冬の写真も撮るんだ」とか言われました。 やっぱり緑の写真のイメージが強いそうです。 じつは冬の写真も撮ってるんですよー ![]() この写真は30号のキャンバスにプリントして明日から 安曇野市三郷のファインビュー室山のフロントに飾ってます。 温泉行ったついでに見て下さい 【PR】
正月を兵庫県の実家で過ごしてました。 帰ってくるのを待っていたかのように昨日降り始めた雪。 安曇野で迎える新年は雪景色で始まりました。 二日に中学の同窓会がありました。30年振りに集まった前回から四年 一度にあまり多くの懐かしい友達と再会するので誰と何を話していいのかわからないまま終わってしまった。一人一人ともっとゆっくり話がしたかったなー。 「おまえぜんぜん変わってないなー」と何人もの人から言われた。素直にとれば嬉しいことですが、外見以上に中身は何も変わらないのでした。僕の回りの状況は四年前からも何も変わっていない。相変わらずってやつ・・・ もしかしたら中学の頃からなにも変わってないような気もする。 あの頃は大人になったらなんでも出来そうな気がしてた。 でも、たいした大人にはなってない。 たぶんこれからも何もできないんでしょう 今はそんな気がする。 あの頃のことを想うとやっぱりこの唄 当時の僕に強烈なインパクトを与えた唄。 四年前にも紹介しましたがもう一度聴いて下さい。 空飛ぶ鯨 話は50年経ったあとの出来事 宇宙には夢が広がる だけど地上は荒れ果てる。 昨年、原発事故という象徴的な出来事があり、 四年前よりも更にこの地球は荒れ果てました。 クジラはまだ空を飛んでませんが シカやクマやイノシシなど山の野生動物は行動し警告を発しています。 でも人間はこの警告に耳を傾けることなく動物達の異常行動で片付けています。 もちろん動物達は正常です。 この地球上の生き物で異常な行動をしているのは人間だけです。 この唄の言う50年後はそんなに遠い話じゃありません。 ある朝、ある街で、もしクジラが空を飛んでたとしても・・ やっぱりクジラの異常行動と言うのでしょうか。 【PR】
いろんなことがあった2011年も今日で終わります。
![]() しばらく更新がなかったので、心配してくれた何人かの方から電話やメールを頂きました。ありがとうございます。そういうことではなく元気でやってます。 四月に写真展をやることが決まり、その作品づくりと初冬の撮影に没頭してました。本格的な個展は久しぶりなので、いい写真展にしようと気合いを入れて頑張ってます。ここ一年くらいの撮影と作品づくりには自分でもなんとなく手応えを感じています。撮影で森に入っても凄く集中できるし、感じることができる。プリントや作品制作でもいろんなアイデアが浮かび作品を創ることが楽しい。でもその分事務的な作業や日常的なことが凄く煩わしく感じてしまうのです。パソコンなどは特にそうで、そんなわけでブログの更新も・・・ そんな感じを僕はいいように解釈して、いよいよアーティストの感性が研ぎ澄まされてきたのかな?とある人に言うと、「それはただの老化現象だよ」とあっさり言われてしまった。老化現象!やっぱり・・・。 そう言えば思い当たることはいっぱいあるな。 来年はもっとブログの更新をすることと、写真展は積極的に県外にも出て行きたいと思います。会場などの情報があれば教えて下さい。 【PR】
![]() 安曇野市三郷地区の夕暮れ。 道端の草もすっかり枯れ、冬を待つばかりです。雑草が生えたこの道が好きで、夕暮れ時などに時々通ります。イヌを散歩させてる人によく逢います。イヌにとっても心地良い道なんでしょう。ちょっと前の新聞で道に生えた雑草が見苦しいという読者からの投稿記事を見ました。キレイに整備された道路は町の身だしなみだというような話しでした。他にも雑草を嫌う話は特に年配の方からよく聞きます。雑草や雑木の味方の僕としては聞き捨てならない意見です。 雑草にも綺麗な花は咲く。夏は青々と茂り,夜には虫の音が涼しげです。秋には紅葉し、冬になれば枯れてしまいます。季節のうつろいを感じさせてくれ、また食べられるものも多いし、そんなに目の敵にしなくてもいいのに・・・ 雨水と太陽光で成長し、生きていくのに誰の手も借りず、他の命を必要としない雑草はすべての命の源だという話は前にしましたが、雑草がなければこの地球に生き物は存在しないでしょう。 コンクリートとアスファルトで覆い尽くされ、草木一本生えない都市の風景。そんなのが町の身だしなみですか?雑草が見苦しいのではなく、自然に生えてくる雑草を見苦しいと感じる町づくりが見苦しいのです。 【PR】
今年の紅葉はピークが短かったように思います。特にブナがそうで、いつもは黄色く色づき、オレンジ色から茶色や褐色に変わっていくが、今年は早々と落葉してしまった。以前にも同じように感じた年があります。
2005年の秋、その年はブナの実が大豊作で、10月下旬には森に雪が積もった。 そして翌年の雪解けの頃、森はブナの実生で足の踏み場もないほどだった。 「もしかして・・」と思い大木の下に厚く積もった落ち葉をはらってみた。思ったとおりそこにはブナの実がいっぱい。ほかの木の下も同じだった。今年、ブナはあの年以来の大豊作のようです。 ![]() それにしても上手く落葉の下に潜り込むもんです。この写真は撮影のために落葉を手でかきわけて撮影しましたが、普通に森を歩いただけでは気づかないでしょう。実が弾けてばらまかれると同時に落葉するのでしょうか、実に養分を取られるために落葉するのかもしれません。冬の寒さや乾燥から守り、また森の動物たちに見つからないよう木の葉が隠しているように思えます。それは子孫を残すためにブナに備わった能力なのかもしれません。 ![]() これから長い冬をブナの実は落葉に包まれ温かい雪の中で過ごします。 ![]() 来年の初夏、このブログのタイトルバックの写真のような光景が見られるのが今から楽しみです。 【PR】
前回は植物は光合成をするからエラい!という話でした。
ここまでは自然林も人工林も同じですが、今回は、人が手をかけなくても勝手に成長する雑木の森はもっとエラい!という話です。 何がそんなにエラいのかと言うと・・・ 植物は生きていくのに他の命を必要としない。水と土と太陽光さえあれば他の生き物がいなくても生きていけると言いました。それは確かにそうなのですが、そこから先が自然の森の凄いとこなのです。 樹は虫に葉を食べさせることで、虫は糞をして土を肥やし、土中を動き回り土を耕します。鳥や動物が集まり実を食べることで樹はその子孫を拡大し、空気と水を含んだ土中には、バクテリアが動物の死骸や落葉を分解して土に還し、樹の成長に必要な腐葉土をつくります。自然の森では、樹は他の生き物に餌を供給することで自らの成長に必要なものを集め、生き物がいない森に比べて飛躍的に成長が加速するのです。このことを「自己施肥」と言うんだそうです。聞き慣れない言葉ですが文字を見れば意味はわかりますね。森というのは、虫や鳥や動物達や土中の微生物など、それぞれが違う役割を持ったパーツとして機能するひとつの生き物のようなものに思えてきます。 植物は光合成によりでんぷんを育成し自らの栄養とするだけでなく、あらゆる生き物の糧となる。そして二酸化炭素を吸収し酸素を排出する。植物があったから動物が生まれ、人間も生きていける。森がなければ他の生き物は生きられない。 この植物とはなにか? この森とは何か? それは雑草や雑木のことであり、鳥や動物などの生態系が保たれた自然林であることは明らかです。二酸化炭素地球温暖化説で森の働きが注目されるようになってきたのはいいが、それを理由に木材消費の拡大や人工林整備などの林業振興に結びつけるのは間違いです。「緑」=(イコール)「自然」ではありません。 二酸化炭素の吸収という観点だけで森を見ていると、取り返しのつかない間違いを犯すことになります。 ![]() ![]() いつか写真展で見て頂けると嬉しいです。 【PR】
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