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兵庫県出身
97年に信州にIターン 安曇野市在住 ホームページ 写真工房 道 リンク集 平野虎丸のブログ 林野庁の林業暴走 山と野鳥が大好きなAmamiさんのフォトブログ フォトダイアリー信州 安曇野通信 日本アルプスの情景 カテゴリ
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四月に写真展をやることになったと先日言いましたが 日程は4/6〜4/11 会場は安曇野市豊科のイオンホール 以前はサテイホールと言っていたところです。 タイトルはいつも通り「行きずりの瞬間(とき)」 内容もいつも通り早春から春にかけての森の写真になる予定です。 今はその作品制作の最中なんですが、たて続けにあと二つ写真展を開催することになりました。ひとつは四月下旬から、もうひとつは5月から始まります。 詳細はまた後日にここで書きます。 それにしても春になると写真展の声がかかるけど・・・ 年末にアートカフェ清雅から冬の写真を依頼されて四点ほど展示したのですが、オーナーからは「へぇ〜 冬の写真も撮るんだ」とか言われました。 やっぱり緑の写真のイメージが強いそうです。 じつは冬の写真も撮ってるんですよー ![]() この写真は30号のキャンバスにプリントして明日から 安曇野市三郷のファインビュー室山のフロントに飾ってます。 温泉行ったついでに見て下さい 【PR】
正月を兵庫県の実家で過ごしてました。 帰ってくるのを待っていたかのように昨日降り始めた雪。 安曇野で迎える新年は雪景色で始まりました。 二日に中学の同窓会がありました。30年振りに集まった前回から四年 一度にあまり多くの懐かしい友達と再会するので誰と何を話していいのかわからないまま終わってしまった。一人一人ともっとゆっくり話がしたかったなー。 「おまえぜんぜん変わってないなー」と何人もの人から言われた。素直にとれば嬉しいことですが、外見以上に中身は何も変わらないのでした。僕の回りの状況は四年前からも何も変わっていない。相変わらずってやつ・・・ もしかしたら中学の頃からなにも変わってないような気もする。 あの頃は大人になったらなんでも出来そうな気がしてた。 でも、たいした大人にはなってない。 たぶんこれからも何もできないんでしょう 今はそんな気がする。 あの頃のことを想うとやっぱりこの唄 当時の僕に強烈なインパクトを与えた唄。 四年前にも紹介しましたがもう一度聴いて下さい。 空飛ぶ鯨 話は50年経ったあとの出来事 宇宙には夢が広がる だけど地上は荒れ果てる。 昨年、原発事故という象徴的な出来事があり、 四年前よりも更にこの地球は荒れ果てました。 クジラはまだ空を飛んでませんが シカやクマやイノシシなど山の野生動物は行動し警告を発しています。 でも人間はこの警告に耳を傾けることなく動物達の異常行動で片付けています。 もちろん動物達は正常です。 この地球上の生き物で異常な行動をしているのは人間だけです。 この唄の言う50年後はそんなに遠い話じゃありません。 ある朝、ある街で、もしクジラが空を飛んでたとしても・・ やっぱりクジラの異常行動と言うのでしょうか。 【PR】
いろんなことがあった2011年も今日で終わります。
![]() しばらく更新がなかったので、心配してくれた何人かの方から電話やメールを頂きました。ありがとうございます。そういうことではなく元気でやってます。 四月に写真展をやることが決まり、その作品づくりと初冬の撮影に没頭してました。本格的な個展は久しぶりなので、いい写真展にしようと気合いを入れて頑張ってます。ここ一年くらいの撮影と作品づくりには自分でもなんとなく手応えを感じています。撮影で森に入っても凄く集中できるし、感じることができる。プリントや作品制作でもいろんなアイデアが浮かび作品を創ることが楽しい。でもその分事務的な作業や日常的なことが凄く煩わしく感じてしまうのです。パソコンなどは特にそうで、そんなわけでブログの更新も・・・ そんな感じを僕はいいように解釈して、いよいよアーティストの感性が研ぎ澄まされてきたのかな?とある人に言うと、「それはただの老化現象だよ」とあっさり言われてしまった。老化現象!やっぱり・・・。 そう言えば思い当たることはいっぱいあるな。 来年はもっとブログの更新をすることと、写真展は積極的に県外にも出て行きたいと思います。会場などの情報があれば教えて下さい。 【PR】
![]() 安曇野市三郷地区の夕暮れ。 道端の草もすっかり枯れ、冬を待つばかりです。雑草が生えたこの道が好きで、夕暮れ時などに時々通ります。イヌを散歩させてる人によく逢います。イヌにとっても心地良い道なんでしょう。ちょっと前の新聞で道に生えた雑草が見苦しいという読者からの投稿記事を見ました。キレイに整備された道路は町の身だしなみだというような話しでした。他にも雑草を嫌う話は特に年配の方からよく聞きます。雑草や雑木の味方の僕としては聞き捨てならない意見です。 雑草にも綺麗な花は咲く。夏は青々と茂り,夜には虫の音が涼しげです。秋には紅葉し、冬になれば枯れてしまいます。季節のうつろいを感じさせてくれ、また食べられるものも多いし、そんなに目の敵にしなくてもいいのに・・・ 雨水と太陽光で成長し、生きていくのに誰の手も借りず、他の命を必要としない雑草はすべての命の源だという話は前にしましたが、雑草がなければこの地球に生き物は存在しないでしょう。 コンクリートとアスファルトで覆い尽くされ、草木一本生えない都市の風景。そんなのが町の身だしなみですか?雑草が見苦しいのではなく、自然に生えてくる雑草を見苦しいと感じる町づくりが見苦しいのです。 【PR】
今年の紅葉はピークが短かったように思います。特にブナがそうで、いつもは黄色く色づき、オレンジ色から茶色や褐色に変わっていくが、今年は早々と落葉してしまった。以前にも同じように感じた年があります。
2005年の秋、その年はブナの実が大豊作で、10月下旬には森に雪が積もった。 そして翌年の雪解けの頃、森はブナの実生で足の踏み場もないほどだった。 「もしかして・・」と思い大木の下に厚く積もった落ち葉をはらってみた。思ったとおりそこにはブナの実がいっぱい。ほかの木の下も同じだった。今年、ブナはあの年以来の大豊作のようです。 ![]() それにしても上手く落葉の下に潜り込むもんです。この写真は撮影のために落葉を手でかきわけて撮影しましたが、普通に森を歩いただけでは気づかないでしょう。実が弾けてばらまかれると同時に落葉するのでしょうか、実に養分を取られるために落葉するのかもしれません。冬の寒さや乾燥から守り、また森の動物たちに見つからないよう木の葉が隠しているように思えます。それは子孫を残すためにブナに備わった能力なのかもしれません。 ![]() これから長い冬をブナの実は落葉に包まれ温かい雪の中で過ごします。 ![]() 来年の初夏、このブログのタイトルバックの写真のような光景が見られるのが今から楽しみです。 【PR】
前回は植物は光合成をするからエラい!という話でした。
ここまでは自然林も人工林も同じですが、今回は、人が手をかけなくても勝手に成長する雑木の森はもっとエラい!という話です。 何がそんなにエラいのかと言うと・・・ 植物は生きていくのに他の命を必要としない。水と土と太陽光さえあれば他の生き物がいなくても生きていけると言いました。それは確かにそうなのですが、そこから先が自然の森の凄いとこなのです。 樹は虫に葉を食べさせることで、虫は糞をして土を肥やし、土中を動き回り土を耕します。鳥や動物が集まり実を食べることで樹はその子孫を拡大し、空気と水を含んだ土中には、バクテリアが動物の死骸や落葉を分解して土に還し、樹の成長に必要な腐葉土をつくります。自然の森では、樹は他の生き物に餌を供給することで自らの成長に必要なものを集め、生き物がいない森に比べて飛躍的に成長が加速するのです。このことを「自己施肥」と言うんだそうです。聞き慣れない言葉ですが文字を見れば意味はわかりますね。森というのは、虫や鳥や動物達や土中の微生物など、それぞれが違う役割を持ったパーツとして機能するひとつの生き物のようなものに思えてきます。 植物は光合成によりでんぷんを育成し自らの栄養とするだけでなく、あらゆる生き物の糧となる。そして二酸化炭素を吸収し酸素を排出する。植物があったから動物が生まれ、人間も生きていける。森がなければ他の生き物は生きられない。 この植物とはなにか? この森とは何か? それは雑草や雑木のことであり、鳥や動物などの生態系が保たれた自然林であることは明らかです。二酸化炭素地球温暖化説で森の働きが注目されるようになってきたのはいいが、それを理由に木材消費の拡大や人工林整備などの林業振興に結びつけるのは間違いです。「緑」=(イコール)「自然」ではありません。 二酸化炭素の吸収という観点だけで森を見ていると、取り返しのつかない間違いを犯すことになります。 ![]() ![]() いつか写真展で見て頂けると嬉しいです。 【PR】
前回の記事で雑草のことを書きましたが、今回もまたそんな話です。
植物の何がエラいのかと言うと、光合成が凄いのです。すべての動物は他の生き物を食べて身体を作っています。大型の肉食獣も草食獣も鳥も小さな昆虫も、もちろん人も含めてみんなそうです。他の命を食べなければ生きていけません。でも植物は違います。水と土さえあればあとは太陽光で身体を作って成長します。 生きていくために他の生き物を必要としない。 人は森がなくては生きていけないけど、森は人がいなくても生き続けるのです。そして太陽は地球外から届く純粋なエネルギー。いくら使っても減らない無限のエネルギー。太陽のエネルギーを蓄えることが出来るのは植物だけ、太陽の光で大きくなる動物はいないし、人間は日焼けするだけですね。 化石燃料を使い果たし、原発事故を起こした今になってようやく人間は太陽エネルギーの利用を本気で考え始めましたが、昔の人はとっくにやってます。植物を食べて働く。植物を食べた牛や馬を使って動力とする。もっとも原始的な太陽光利用。ゆっくりだけど永遠に持続するエネルギーです。 ![]() これは去年の写真ですが、標高の高い森ではそろそろ紅葉が始まります。美しい雑木林の紅葉を見ながら考えてみて下さい。 【PR】
震災から半年の日、テレビや新聞で特集が組まれた中で、陸前高田の震災直後と今を定点から撮影した写真が目に止まった。高く積まれた廃車の山は今もそのままだが、大地は緑に覆われている。塩害を受けた田畑は当分使えないというのに、雑草のなんと逞しいことか。やがて草むらに小さな昆虫類が生まれ、その虫をエサとする鳥が集まり、樹木の種が運ばれる。そこには日向を好み成長の早いパイオニア樹種と呼ばれる樹木の雑木林が出来る。そしてそれは人が植えたものよりも強く確実に育っていくだろう。なぜならそれがその地の環境に最も適したものだから。
それが自然ということです。 人は森がなくては生きていけないけど・・ 森は人がいなくても森であり続けるのです。 だから森林整備だ!森づくりだ!と余計なことをする必要はない。 自然の力を信じて、 人は人にしかできないことをすればいいのです。 地球上のすべての命の源である太陽。その太陽のエネルギーで育つ植物は人間も含めたすべての動物の源です。豊富な雨量と温暖な気候に恵まれた日本人はそのことに最も気付いていない民族かもしれません。 カネにならない雑木林を伐採し、 雑草を目の敵にして除草剤で根絶やしに・・・ 人間のやってることはなんと愚かな行為だと思いませんか? 何度でも言います。 人が森を守るのではなく、人は森に生かされているのです。 だから人は自然を敬い、森の恵みに感謝しながら生きるのです。 安曇野市豊科のアートカフェ清雅で写真展やってます。 ![]() 夏からずっと継続中だったのですが、季節も変わり作品も秋に衣替えで全作品入れ替えました。雑木の個性を活かした創作額縁が好評です。 なんとなく成り行きで始まった秋の作品展だけど・・ 自分で言ってはダメなんでしょうが、なかなかの出来です。 【PR】
それにしても何でこんなことで大臣が辞めなければならないのか呆れるばかりです。鉢呂氏といえばハッキリしない新内閣の中にあって明確に原発に頼らないエネルギー政策、脱原発を表明していた人です。しかもこれまで原発を推進してきた経済界のトップである経済産業大臣の立場でありながら。
原発周辺市町村を視察し、ひとっ子一人いない街の状態を「死の町」と表現したのは現場を見ての率直な感想だし、事実そうだからみんな避難している。そんな街にしてしまった原発への怒りと脱原発への決意表明とも言える言葉ではなかったのか。それが何で被災者の感情を逆撫でしたことになるのかワケが解らない。事故から半年経過しても収束どころか益々拡大する放射能汚染や先の見えない不安。節電意識の高まりでほぼ原発無しでこの夏を乗り切った今、原発推進派が脱原発を訴える人達を納得させる材料は何もない。このまま一気に脱原発の気運が加速しそうな情勢と脱原発路線を表明する経済産業大臣を脅威に感じた産業界とマスコミによるいつも通りの失言騒動だったような気がする。それにしても今回の強引な騒動には巧妙さも何もなくむしろ「インネン」と言った方が近い気がする。もはやプライドも正義も無く産業界の言いなりのマスコミの末期症状か。そのマスコミに同調する被災地も含めた国民すべてが末期症状なんだろう。 つまらない失言騒動だとか、国民や被災者のことを末期症状などと・・ もし政治家がこんなことを言うと、それこそ国民や被災者をバカにした発言と総叩きに遭うのでしょうが、こんなブログで僕の揚げ足をとってもしょうがない。マスコミが潰しにかかる人間は産業界や資本家にとっての脅威であり、有り難くない人物。労働者である国民はそんな視点でニュースを見た方がいいと思う。 松本龍復興担当大臣の時にも書いたけど、 優しい言葉や笑顔に隠された悪意と、心あるキツい言葉。 この国の人達はいったいいつまで ニコニコ笑いながら頭を撫でてくれる優しい人に搾取され続けるのか・・・。 最後に一言、関係ない話をします。 ボクのこれまでの短い人生の中のほんの僅かな経験での話ですが・・ 女性が口を揃えて優しいという男性で本当に優しい人に会ったことがないし、男のボクから見て「こいつホントに優しい奴だ」と思えた人でモテた奴もいない。大きなお世話ですが、本当の話です。 【PR】
前回の続きです。
そもそもこの巨木の谷を紹介したのはこの保護団体が事務所をおく施設ではなかったか。未整備でわかりづらく、訪れる人も無かったこの場所に「森太郎」「森姫」「こぶブナ」などと名前をつけてルート整備をし、駐車場や地図まで作って人を招き入れ、その後、保護の看板を掲げて団体を立ち上げたように記憶している。ましてこの「鬼ブナ」とやらはそこから更に五キロ東だという。そんな場所には余程の探検家じゃないと行かない。保護という立場からみれば、まさに自分で火をつけ、自分で消火する消防士のようなものではないのか。 観光資源としての利用と保護の矛盾は多くの地方が抱える問題です。「森へ行こう!」と訴える僕の写真も同じです。写真展で受ける質問で一番多いのは場所に関してのことです。荒れるから教えないという写真家もいるようですが、僕は丁寧に答えるようにしています。人が森に無関心でいることで結果的に森の自然が回復していくことはありますが、それでいいとは思いません。そんなものはいつかその時の経済の事情で簡単に崩れてしまうでしょう。この自然を未来に遺したいという願いを本気のチカラにするためには、まず好きになることだと考えます。森へ足を運び、森の営みを理解することが重要です。そのために森の素晴らしさを伝え、人を森へ向かわせる写真。それが僕に出来ることだと思っています。 巨木だから守るのではない。古木だから価値があり、キレイだから、希少だから価値があるというのは人間社会の価値観であり、だから自宅の庭や床の間に飾りたいというのとたいして変わらないように思う。 古木はいつか倒れていく。ぽっかり空いたその空間に周囲の若木が枝葉を伸ばす。葉は虫に食われ、虫は鳥や動物を集め、鳥や動物はその種子を遠くに運ぶ。朽ちた古木も動物達の死骸も土中の微生物により分解されやがて土に還り、また新たな命の養分となる。古木も若木も綺麗な花も、そうでない雑草も、森の中ではすべての生き物が同列であり、それぞれに役割があり繋がっている。繰り返す命の循環そのものに価値があるのです。物見遊山的な巨木ブームに踊らされずに、そのことを理解する人が増えたなら、観光と自然は両立できると思います。 森づくりという言葉は嫌いです。 自然保護という言葉も嫌いです。 森は人が造るものではないし、人が自然を保護してきたのではなく人は自然に守られてきたのです。そのことを忘れ、勘違いしている現代人に今、自然が牙を剥いているのです。 森の役割を知り、そこに生きる多様な生き物たちの循環を理解した上で人間は積極的に関わらない。そんな感じでいいと思う。人間のエゴで壊してしまった自然のバランス。その場しのぎの対処を繰り返し問題を更に複雑にしてしまうより、そうなってしまった原因を見極め、少しずつ取り除いていくこと。信じて見守ることは積極的に手を下すことよりも勇気がいることなのです。 ![]() 【PR】
このところ夜遅くまで工房で作業していることが多く、なかなかブログの更新もできてません。その間にも日本列島は大きな災害に見舞われ続けている。人が築いた文明を一瞬で呑込んでしまう自然の猛威と人間の無力さをあらためて感じます。ずいぶん前の新聞記事からですが、気になる記事だったので書いてみます。
それは7月5日の信濃毎日新聞で、こんな見出しがついています。 「鬼ぶな」森のシンボルに 保護団体 ブナの巨木に命名 見学路など整備の考え 飯山市の鍋倉山一帯でブナ林の保護活動をしている「いいやまブナの森倶楽部」は3日、高さ25メートルほどの巨木「森太郎」に匹敵する大きさのブナ1本を「鬼ぶな」と名付け、新たに保護活動のシンボルにすると発表した。見学路などを整備する考えで、林野庁や市などの関係機関と協議を始める。 一方、森太郎と共にシンボルとして親しまれてきた「森姫」は同日の樹木医による往診で、枯死が確認された。 鬼ぶなは、森太郎や森姫の生えている「巨木の谷」から東に直線距離で5キロほど離れた山中にある。枝が何本も伸びており、「鬼のようにたけだけしい」(事務局)のが特徴。鍋倉山一帯のブナ林では、1999年に巨木「こぶブナ」が倒れたのをきっかけに、保護活動の気運が高まった。訪れた人によって木の周りの土が踏み固められた森姫は衰弱が著しく、2000年に発足した同倶楽部が周囲への立ち入りを制限するなど、保護策を進めていた。この日の往診に同行した同倶楽部の事務局長は「森姫は私たちに自然保護の在り方などを考えさせてくれた」と感謝していた。 以上が新聞記事からの抜粋です。 「よくわからん保護団体やな〜」というのが僕の感想です。なんとなく、この記事を書いた記者の方もそう思ってるんじゃないかという気がするし・・・ 詳しくは次回に書きますが、みなさんはどう感じますか? 【PR】
お盆前に法事で兵庫県の実家へ帰ってきました。夏に帰るのは始めてで、14年振りに経験する暑い夏は「こんなに暑かったか?」と思うほど苦痛の4日間でした。
その後、安曇野へ戻ってからも猛暑は続き、みんなは暑い暑いと言ってるけど、あの暑さに比べればなんでもない。同じ35度でも不快さは全く違う。風は爽やかだし朝晩は涼しい。4日間タップリ汗をかいたおかげでその後の暑さが苦にならず体調もいいようです。 半月ぶりに我が家にテレビが来て、ようやく地デジ難民も解消された。テレビのない静かな生活も悪くないが人の価値観は様々であり、それを無視しては家の中のほんの小さな平和も保てないのであります。でもテレビが無かったこの半月の経験は貴重であり、テレビが来た今も観ている時間は確実に減った。なにより観たいものがないときには消えている。こんな当たり前のことが当たり前じゃなかったこれまでの暮らし。物心ついた時にはすでにテレビがあり(白黒でしたが)電気を使った便利な暮らしが当たり前のようにあった。僕たちの暮らしは麻痺している。一度手にした便利な生活は手放せないし、もう元へは戻れないという声も聞くがそんなことはない。それは便利さをなくしてしまう不安に怯えているだけ。今の消費社会を永遠に続けたいと思っている一部の人間が作り出した詭弁だろう。 震災から節電の夏をむかえた今年、これまで豊かな暮らしを求め成長してきた過程で無くしてしまったものの中にこそ、本当に大切なものがいっぱいあったことに気づき始めた人も多いと思う。 暑さも寒さも、便利さもスピードも・・・ 人間というのはすぐに忘れ、良くも悪くもすぐに慣れてしまうものです。 【PR】
我が家のテレビが見えなくなって一週間が経った。長野県内では約1パーセントの世帯がデジタル未対応で、そのほとんどが年寄り世帯だという。いわゆる地デジ難民というやつ。まだ年寄りと呼ばれるには早いけど、その仲間に入れてもらえるとは光栄なこと、どんなことでも1パーセントに入るのは大変なことなのだ。
おかげで静かな日々を過ごしている。カッコウの声で目を覚まし、夜は仕事がはかどる。情報源は新聞と車のラジオだけ。その間の出来事と言えば中国の列車事故とナデシコジャパン。ナデシコに国民栄誉賞を・・という新聞の見出しを見て思った。「テレビが無くてよかった!」こんなバカ騒ぎを毎日見せられたらたまらん。もちろん素晴らしい快挙だと思うし、女子サッカーが嫌いで言うわけじゃない。でも、たかがサッカー。何で国民栄誉賞なのよ?みんな好きで続けてきたことでしょ、だったらそれでいい。そんな重いもん背負わされたら彼女たちも可哀想やね。 サッカーも野球も、スポーツ以外では「はやぶさ」の快挙もノーベル賞も・・・ 世界で活躍することをあまりに賞賛する風潮が怖い。勝つことの快感、そして国際競争力の強化。そのために国民に何を我慢しろというのか。 お国のために・・ってやつか? 勝つ人がいれば負ける人もいる。勝ち続ける人はいない。松本で国際軍縮会議があり、関連のイベントが多く催された。核廃絶をどれだけ大きな声で叫んでも、どれだけ戦争の悲惨さを訴えても、平和という言葉を口にしても・・そんなことは誰でも知ってる。勝つことの快感に酔ってるうちはいつまでたっても平和は来ない。勝つことはいずれ負けること。競わず、戦わず、負けないこと。互いの環境や価値観の違いを理解し尊重すること。それはグローバルではなくローカル。 生き方や価値観は違っても、すべての生き物は地球環境という生態系の中で生かされているという共通の認識さえあればそれでいい。 自然に挑み、思い通りに捩じ伏せることは、他人あるいは他国をそうすることに繋がる。争いの種は尽きない。すべての人の価値観の上に自然は存在する。世界共通のルールってことなんです。 アートカフェ清雅での写真展継続中です。是非見て下さい。 ![]() 森で感じて下さい。あらゆる生き物が絡み合いバランスを保ちながら循環するパーフェクトな空間を、そして人間の身勝手な価値観がそのバランスを大きく崩していることを。 【PR】
ここ数日の涼しさがウソのように、安曇野に暑さが戻ってきました。
今日は前回の続きで、松本龍全復興担当相の一連の報道について書いてみます。 あの映像を見てまず思ったのは、「よくあんな事が言えたなぁー」というものでした。普通は誰でも優しい善人を演じて見せる。政治家なら当然、TVカメラの前では特にそうで、あの場合、知事とガッチリ握手を交わして「共に頑張りましょう!」というのが普通だろう。でも、映像をよく見てみると、言ってる事は間違いではない。国は援助はするが、被災者自身がどうしたいのか知恵を出さなければ復興は進まない。あの命令口調が鼻についたのだと思うが、確かに言葉は荒いし感情的にも見えたが、復興担当大臣という想像を絶する激務と、なかなか進まぬ復興に苛立ち、そこへ遅れて入ってきて笑顔で握手を求める知事に対し怒りを覚えたとしても不思議はない。それに遅れた方が笑顔で握手を求めるのもおかしい。先ずは遅れた事を詫びるのが先だ。県の最高責任者であり、小言を言ってくれる人もいない年下の知事に苦言を呈したと言えなくもない。だとすれば握手を拒否したのも当然だし、それだけ真剣だともいえる。感情を出さずに丁寧な口調で言葉を選びながら話すよりずっと現場の指揮官としての緊張感は伝わった。 今は互いのメンツを考えてる時ではなく、現場での指揮とはああいうものだ。 いちばん問題になってたオフレコ発言に関しては、「なんでそうなるの?」と思う。あれが一対一で密室で交わされたのであれば恫喝と言われてもしょうがないが、知事を含めたあれだけの人数の前で、しかもTVカメラが回ってる中での発言だ。ジョークととるのが普通だろう。愛想も何もなくあまりにも簡潔に指示を伝えたために現場に緊張が走った。それを察した大臣のテレ隠しのジョーク。 そんなふうにも見えた。 映像から読み取れるものは見る人によって違う。すべての視聴者がその真意を理解するはずもない。ならばそれをわかりやすく伝えるのもニュースの役割ではないか。前後の脈絡もなく都合のいい映像だけを繋げて繰り返し報じれば真意を歪曲するのは簡単な事だ。マスコミはマスコミに媚びない奴を嫌う。愛想を振りまかず、カメラの前でも態度を変えない信念を持った奴を、傲慢だ高飛車だと非難し世論を煽って潰しにかかる。小沢一郎がそうだ。鈴木宗男もそうだ。言葉尻をとって大騒ぎし、世論を煽って政局を混乱させてきたマスコミこそが復興の足を引っ張る張本人ではないか?我こそが世論だというマスコミの方がよっぽど傲慢じゃないのか? 本当の優しさは見えないものだ。ましてTVカメラを通しての優しさなどまったくあてにはならない。時代劇の水戸黄門に登場する悪代官のように悪い奴らがみな悪党ヅラしてればだれも詐欺になど遭わない。自民党をぶっ潰すと颯爽と登場し、ニコニコ笑顔を浮かべながら弱者のクビを締めたあの人気者の総理の例を出すまでもなく・・・国民はうわべだけの優しさにいつまで騙され続けるのか。 いい加減に気づけよ!と思う。 マスコミにとって松本龍という人は叩き甲斐がり、世論の賛同も得やすい有難いキャラクターです。マスコミがこんなつまらない事で大騒ぎする時はいつも他に報じたくない事実があるものです。目を逸らさずこの世紀の人災の経過を見届けなければなりません。 【PR】
今日は涼しかったので一日中パソコン周辺と工房の片付けでへとへとです。写真展が続くといつもそうで、散らかし放題でぐちゃぐちゃ。整理整頓が苦手です。四月の穂高ビューホテルから続いた写真展示も7月17日のアートカフェ清雅で一段落です。この間は人に会うことも、撮影に出かけることも多く、パソコンの前に座る機会が少なくなってましたが、被災地の状況は相変わらずというか、原発に関しては深刻な事態が次々に明らかになってきました。
最近になって松本龍前復興担当相が軽度のそう状態で入院中というのを知りました。あの騒動からもうずいぶん経ったような気がします。あのころ何人かの人とその話題になりましたが、そのすべてが松本氏を非難するものでした。あの映像と報道振りでは無理も無いことで、僕も特に反論はしませんでしたが、本当はまったく違う感想を持ったのでした。 例の放言後すぐに謝罪し、その後の辞任で速やかに騒ぎを収束させたこと。そしてその後の沈黙と入院。もちろん本意ではなく、悔しい思いだったはず。つまらない言葉尻をとってマスコミが騒ぎ、最後は大臣の辞任で終わるという、これまで何度も繰返されてきたこと。「またか・・」と言う思いと、「これでよかったのか?」という思いを、今さらですがここで書くことにします。 でも今日はもう遅いので,続きは明日・・・ それとお知らせです。 アートカフェ清雅でのコラボレーション企画は17日で終わりましたが、僕の写真展示は継続中です。好評につき・・・ということにしておきましょう。 何点か買っていただいた作品もあるので、また新たな作品と入れ替えて展示中です。見逃した方も見た方も、よかったらまた見に行って下さい。 ![]() ![]() 【PR】
過剰な植林や林道建設で、森を壊し山が保水力をなくした結果おこる土砂崩れや洪水、農業用水の不足などの人災を天災のように装い、それらを補うためのダム建設や河川改修工事など、コンクリートの建造物が必要不可欠なもののように思い込まされ、自然と引き換えの公共工事により成長してきた経済大国。自然に挑み、ねじ伏せる行為を人類の英知だと賞賛して来たメディアによる洗脳。普通に考えれば儲かるはずもない補助金頼みの日本の林業が莫大な赤字を出しながらもこれまで存続してきたのもうなずける。
自然を壊すことで成し遂げた経済成長など、己の血肉を喰らうに等しい行為であり、国土の狭い日本では尚更です。そんなバカげた行為が続くはずも無く、その繁栄は僅か一代限りで終わってしまいました。戦後の復興やその後の高度経済成長を支えてきたと胸を張る団塊の世代と呼ばれる人達。とんでもない勘違いです。戦後の成長期を謳歌したに過ぎません。たった一代限りの繁栄のために日本人が受け継いできた自然も文化も未来さえも売り払ったことになります。この先もこの国が生き残っていて歴史を振り返えることが出来たなら、未来の人々は今の時代のことを急ぎ過ぎた戦後復興の副作用だったと言うかも知れません。これから生まれてくる子供たちは何もかも無くしてしまったこの国で莫大な借金だけを残されて生きていくことになるのですから。 年々激しさを増す自然の猛威、植物や動物の異常行動など、成長の行き詰まりによる破綻の前兆は大震災以前からいくつも見えていました。にもかかわらず経済の縮小どころか、地球温暖化を煽り原発推進の追い風にしてきた政財界とそれに加担する学者たち。地球の危機さえも利用して成長を図る愚か者達です。 コンクリートで地球の動きを止められるはずもない。大地は動き続けているという当たり前の認識をもって安全を考えなければ何度でも悲劇は繰り返される。 先日、ある人からわが家のツバメのことを訊かれました。 毎年わが家に来ていたツバメが今年は来なかった。ここ数年は隣の雑木林に棲む大きな鳥にやられています。そのことは去年もブログに書きました。 http://michiyuki7.exblog.jp/14667478/ 初夏の頃、古い巣の周りを飛びまわっているのを見て、 「もう来るな。ここへ来てもまたやられるだけなのに・・・」 と思ってたのが通じたのでしょうか、時々わが家の古巣を懐かしむように飛んで来るけど、今年は別の場所に巣を作ったようです。よかった!よかった! ガキどもは今年もやる気マンマンで僕を待ち構えてたのに、残念でしたー! ツバメたちでも二度三度とやられれば四度目には考え直すのに、人間は何度痛い目に会えば懲りるのでしょうね。 これほどの悲劇を目にしてもまだ 原発は安全だ必要だという学者や財界人が理解できない。 見せかけの脱原発で人気取りを企む政治家は信用できない。 真実を報じられないメディアは始めからあてにしてない。 では何を信じればいいのか? それは自然です。謙虚に自然からのメッセージに耳を傾け、感じることが出来るよう自分の感性を磨くことだけです。 アートカフェ清雅での写真展は17日まで開催中です。10日の15時からはコンサートもあります。ぜひ見に来て下さい。 【PR】
各地で大きな地震に見舞われています。土砂崩れや大雨による災害も後を絶ちません。松本地方でも地震があり被害も出た。コンクリートやアスファルトか割れたりブロック塀が倒れたり・・・もともと自然界には無かった、人が造り出した不要なものだけが壊れた。いよいよ人間にカタチを変えられた自然が本来の姿に戻ろうとしているのか。 防波堤や砂防ダム、河川の護岸工事や治山対策など、安全対策をすべてコンクリートに委ね、それまで森や川や、そこに棲む生き物たちが果たしてきた役割をすべて人間が取って代わり、それを仕事にしてきた。しかもその不完全な仕事は「手入れ」というさらなる仕事を生み、ゴミを生む。自然を壊すことで発生するバランスの崩れ、それを治す作業を「仕事」と呼び経済を回してきた土建屋国家。原資はすべて税金です。 ついでに言うと人間は「子育て」という動物の本能も仕事にし、年老いた親の世話をするという他の動物には無い人が人である部分さえも「介護」という仕事にしてきた。ご丁寧に資格まで作ってね。 飲み水はスーパーで買い、きれいな空気も金で買い、安全には金がかかるもの。人がやらなくてもいいことを仕事にして、人が当たり前にやって来たことは他人に託して仕事にし、これまでタダだった自然の恵みも金にする。この国が経済大国になるためにやって来たことはそういうこと。雇用をつくりだすというのはそういうことだったんじゃないでしょうか。 話が膨らみすぎるので森の話に戻して次回に書きます。 ![]() ![]() 昨日まで撮影で、森を流れる川を歩いてました。 轟音を響かせ落ち続ける滝を見ながら、毎日これほどの水量が流れ続けても、なぜ水は無くならないのか。原生林の多様な樹木やそこに飛び交う鳥の声を聞いていると、人が何も手を加えなくとも完璧にバランスされた自然の森、なぜこれじゃダメなのか?と考えてしまいます。 【PR】
写真展開催中ですが、今日は写真とはまったく関係ないテレビドラマの話です。 日曜劇場「JIN-仁-」が好きで毎週楽しみに見てます。人気漫画のドラマ化で、かなりの高視聴率なので知ってる人も多いと思いますが「マルモのおきて」を見てる人のために簡単に言うと・・・ 幕末の江戸にタイムスリップした脳外科医の南方仁が龍馬を始めとする幕末の志士たちと出逢い、歴史に絡んでいくというストーリー。タイムスリップというよくあるフィクションですが、語り尽くされた幕末の歴史がひとりの架空の人物でこんなにも面白くなるもんだと思う。僕的にはドラマ史上に残る名作なので、次回の最終回でズッコケなければ・・・と思います。 ドラマの中で、南方が現代医学を駆使してそこで亡くなるはずだった命を救っても、それはほんの僅かな延命でしかなく、その人はまったく別の理由ですぐに命を落としてしまう。過去に遡った人間が未来の歴史に変更を加えたとしても、それが神の意に沿わないことなら神はすぐにそれを取り消す。 それをドラマでは「歴史の修正力」と呼ぶ。 歴史というのは既に確定している過去の事実。もし本当にタイムスリップして現在進行系の過去から未来の歴史をみることが出来たとしたら、それは必ずそうなるという運命であり、自ずとそうなるという意味では自然という言葉にも近い。 これまで人間はそうなるはずだった地球の運命にどれ程の変更を加えてきただろうか。動物はみな生きていくために他の命を食べる。生きている以上、他の生き物の運命を変えてしまうのは仕方のないことだ。森を拓いて耕作をし、里という集落を作って暮らしてきた日本の歴史も、地球の運命に変更を加えたことには違いない。でも一方で田んぼに生きるカエルや多くの水棲昆虫、人家の軒下に巣をかけるツバメのような新たな生態系を育んでも来た。これらはみな生きるために必要な軽微な変更であり、神に許された変更だったのでしょう。 だからこそ人も含めた生態系は少しずつカタチを変えながらも今日まで永く繋がってきた。しかしながら経済が支配する近代になってからの人間の暴走は到底、神の意志に沿うものではない。 頻発する自然災害。 人間が壊した山は元の山に、人間が埋めた海は元の海に・・ 神は人間が加えた変更を一瞬のうちに消してしまう。 まさに自然の修正力。 「もし、お前のやったことが神の意に沿わなければ、 神はいとも簡単にそれを取り消す。」 ドラマの中で佐久間象山が南方に言った言葉が今の日本には重い。 攘夷、倒幕という幕末の大きな流れに抵抗し、武力によらない新しい日本を目指す龍馬と、運命に抗い龍馬が死なない歴史をつくろうとする南方。先の見えない激動の時代にあっても自分の感性を信じる二人の生き様には、時代に流され自然の修正力に翻弄され、日本人としての生き方を見失ってしまった現代人への強いメッセージを感じる。 原作の漫画は読んでないし、作者のことも名前しか知らないけど、僕なりの勝手な解釈でそんなことを感じながらみています。そしてもう一つ、このドラマで何度も出てくる重要なセリフがある。 「神は乗り越えられる試練しか与えない。」 今はこの言葉を信じたい。 【PR】
昨日から始まったアートカフェ清雅での写真展ですが、さっそく多くの方に来て頂きありがとうございます。初日だと言うのに僕は会場にいなくて申し訳なかったのですが、代わりに雨飾工房の吉垣さんと家具の話や木の話をいっぱいすることができて楽しかったと聞き、嬉しく思います。「アンタこんでもええよ〜」って誰かの声が聞こえてきそうですが・・これぞコラボレーションの一つの意義ですね。こんなふうに人と人とが繋がっていけばいい。そのために僕たちの作品やこのスペースが一役買ってるとしたら嬉しいことです。そして森を大切に思う二人の作品から森が与えてくれる恵みの大きさと、これまで人間がその森に対してしてきたことに気づくきっかけになればいいと思います。 コラボといえば、作品展はまだ始まったばかりだと言うのに、今日、作品の入替をしました。今回のために吉垣さんが作ってくれた木の額に合わせた作品を3点展示してきました。今回のコラボの目玉作品かも・・・ というわけなので、昨日と今日見てくれた方はもう一度見に行きましょう! 【PR】
![]() 明日から写真展が始まります。会場は安曇野市豊科のアートカフェ清雅。築120年の蔵を利用した木の香りがするカフェギャラリーです。今回は手作り家具作家である雨飾工房の吉垣さんとのコラボレーション企画です。以前から彼のつくる森をイメージした椅子が大好きで、いつか一緒にやりたいと思ってましたが、ようやく実現することになりました。ステンドグラス作家の山口利一さんも手作りのランプで空間を演出してくれます。 家族でミュージシャンでもある山口さんはMAI & Double Fantasyという名前で活躍されてるので知ってる方も多いと思います。山奥で暮らし、なんでも自分でつくっちゃう山口さん一家は脱エネルギーを実践する見習うべき家族なのです。エネルギー問題をテーマにした曲も多く、ボーカルのMAIちゃんはとても魅力的です。利一さんはそのMAIちゃんパパ。去年の秋に始めてコンサートに行き、その後の二次会で彼等の音楽を聴き、いっぺんにファンになってしまいました。 7月10日には会場でコンサートもあります。ぜひ聴きにきて下さい。 森の写真と手作り家具と灯り。あと「音」や「香り」なども含めて五感に響く森を演出できたらいいなと以前からおぼろげに思っていたけど、今回こんな素晴らしい方々と一緒にできることになり、僕自身が一番楽しみにしています。 ![]() 僕の写真のことも少しだけ言っておきます。今回は部屋に飾られることを強く意識しました。本物の家具作家の前で恥ずかしい気もしますが・・・ カラー写真というと撮るだけで、かつての白黒写真のように作品を仕上げるプロセスがないのを寂しく思ってる人も多いはず。撮るだけではなく、空間を演出する作品として絵画のように部屋に飾って欲しい。イメージ通りに作品を仕上げる作業の楽しさを感じてくれたら嬉しいです。 アートカフェ清雅はオープンしてから2年の新しいギャラリースペースです。 嫁の分際でこんなことを始めて・・・というプレッシャーもとれてきて、美人のオーナーも最近ではなかなかの天然ぶりを発揮し始めました。 コーヒーの味もなかなかのもの。ぜひ飲みにきて下さい。 【PR】
前回の続きです。
鳥獣被害の報道は当事者である動物が喋れないのをいいことに、被害を受けた農家にのみ同情的に伝えるため、駆除もやむを得ないと考えがちですが、生息数の増加やその結果おこる農作物被害は人間の身勝手な理屈で奥山の自然を壊した結果です。なにも喋れず、行動でしか訴えることの出来ない動物達の声を聞き、本当の原因を探ることは動物愛護ではなく人間のためにも大事なことです。 人類が生まれるずっと前から繋がってきたのが現在の生態系です。それは人類誕生後も同様で、人がいることで少しずつ変化しながらもつい最近まではそうでした。人類が地球環境を壊せるほどの力を持ち、経済が支配する近代になってそのバランスは大きく崩れています。人間が勝手な理屈を通すようになったこの百年の間に何万種もの生き物がこの地球からいなくなっています。 このまま人間だけが生きていけると思いますか? 頻発する自然災害や水の枯渇、地下資源をめぐる領土問題や水資源確保のための他国の山林の買収など、生き残りをかけた奪い合いは激しくなっています。海底油田事故や今回の原発事故・・・人類滅亡の兆候はいくつも見えています。これらはすべて自然の摂理に逆らう人間に対する当然の反応です。あまりにも急激な環境の悪化です。数十年という時間は人間の一生という短いスパンの中ではその因果関係を立証しづらいほど長い時間かもしれませんが、地球の歴史からみるとホンの一瞬の出来事であり、自然に逆らう人類への即座の反応と言えるのです。 シカやクマやイノシシや猿やキツネやタヌキなど、動物たちによる作物被害は昔からありました。マスコミもない時代には今ほど表面化することはありませんが、おそらく今よりもっと食料が貴重な時代です。にもかかわらず現在報じられるような害獣、即捕殺という殺伐としたものは感じられません。昔話などに登場する動物たちには憎しみよりもむしろ親近感を覚えます。それこそが真実なのではないでしょうか。大きな声や文字で報じられることよりも、言い伝えられてきたこと。真実ってそんなことだと思います。 もっとも大切なものは人間が生きていくための環境です。生態系のすべてを守ることの重要性に気づくこと、それが考えの基本になる。そのために何が出来るのか。何もできなくてもいい。それを壊してまでの成長を望まないことです。経済の停滞による景気の後退を嘆き、悲観的に考えるのではなく自ら降りて行くという前向きな気持ちで受け入れること。後退ではなく後ろへ進むのです。間違えたら止まって引き返すことも社会にとっての成長だと理解することです。もちろんこれまでの生活が劇的に変わるわけではなく、大事なのは意識の転換です。マスコミがつくり出す大きな声に流されず自分の感性で感じること。今は何もできなくても、いつか時が来ればそれが大きな力になるはずです。 写真展をやります。 ![]() 森へ出かけてみて下さい。多種多様な生き物の命がつくる森、水が生まれる場所、絶対に無くしてはならないもの、耳を澄まして森の息づかいを感じて下さい。 【PR】
あの日から続く震災と原発報道で目立ちませんが、相変わらずシカやイノシシによる農林業被害や山岳観光への悪影響を報じる記事を見ます。害獣と決めつけ動物達が山を壊してるかのような報道ぶりですが、モノ言えぬ動物に罪をなすり付け、害獣のイメージを定着させようとする洗脳報道です。自然に生きる動物達の行動で自然が壊れることはありません。こんな馬鹿げた話を鵜呑みにする人が多いのにはがっかりします。動物好きの子供までがそんなことを言い始めました。
もうどうにもならないのかな・・・。 動物たちによる鳥獣被害についてはこれまでに何度か書いてますが、もう一度僕の思うことを書きます。 今回起こった原発事故では、これまで言われ続けてきたことの多くがウソだったことがわかったと思う。真実を隠し、都合の悪いことは報じず、原発の危険を訴え続ける人を日影へ追いやり、原発批判をしたタレントは番組降板・・・ マスコミが誰の利益のためにあるのかよーくわかったはず。肩書きがウソをつくために必要だってことがよーくわかったと思う。山を壊しているのは誰なのか、動物に罪を被せて得をするのが誰なのかTVや新聞記事を鵜呑みにせず自分で考えてみて下さい。 動物たちの行動は環境変化に対して鈍感な人間へのシグナルと捉えるべきです。被害そのものを問題にして動物を殺してもなにも解決しない。根本的な解決を先送りにすればするほど症状は悪化するだけです。 動物の命を奪うことがどうかと子供に訊けばほとんどの子供は良くないと答えるはず。大人に洗脳された優秀な子供たちは大人の理屈を理解するかもしれませんが・・・生き物を殺すのはやっぱりよくないことなのです。大人にはそれぞれの立場で言い分があり、いま起こってる被害の実情だけを捉えると殺すのも仕方がない、或いは当然だという意見も出てくるのでしょう。でもそれら被害も元をただせば人間の行為が原因なのは間違いないことです。 人間の過ちが引き起こした獣害を、その動物を殺すというもう一つの過ちを重ねて帳消しにする。そんな対処療法を繰り返してきた結果、なにが正しくて何が間違ってるのかさえわからなくなってしまいました。マイナスとマイナスを掛け合わせればプラスに、マイナスにプラスを掛け合わせるとマイナスになるように、間違った世の中では、正しいことが何倍ものマイナスになってしまうことがあります。モノを大切にすることや、もったいないという気持ちなど、正しいことが正しく作用する正常な社会、生き物の命を奪うことはよくないことだと素直に言える世の中であって欲しい。そんな単純でわかりやすい世の中に戻す必要があります。 これまで信じてきた永遠の経済成長とそれをリードしてきたマスコミ。 それらを疑問に思い始めたとしたら・・それが今回の災害での唯一の収穫です。 続きは次回です 【PR】
安曇野が舞台のNHKの連続ドラマ「おひさま」効果で今年は観光客も多いようです。映画では「岳ーガクー」「神様のカルテ」と、信州が舞台の作品が続きますが、観光の集客ということではドラマの効果は絶大です。やっぱり自然よりもタレントか・・・なんか複雑な気分です。もっとも僕も高校一年のときだったか、オールナイトの映画館で「幸せの黄色いハンカチ」を朝まで三回も観て感動し、次の夏には自転車で夕張を目指してたので人のことは言えない。そしてあの夏でその後の人生は大きく変わった。もしあの夏がなければ、今とはまったく違う自分になっていたと思う。そういえばその後も「北の国から」の黒板五郎の生き方に憧れ、富良野にも行ったっけ。案外おひさまツアーのオバチャンと変わらなかったりもする。
小栗旬でも嵐でも・・・旅に出るきっかけは何でもいい。 旅先で誰と出逢い何を感じるのか。できれば一人がいい。 常識に染まらない柔軟な感性がある若いうちがいい。 10代の若者を夕張や富良野に向かわせ、 その人生に影響を与える作品って凄い。 やっぱりいい作品なんだと思う。 人を森へ向かわせる・・そんな写真が撮りたい。 このところ撮影と次の作品展の準備で忙しくしています。手作り家具作家とのコラボレーション企画です。詳細は近いうちにこのブログでご案内します。 今日は最近撮影した安曇野を見て下さい。 ![]() ![]() ![]() ![]() 実はこのドラマ、安曇野が舞台と言いながら、このハリボテのセットや、たまにアルプスや水面を映すカットがあるだけで、安曇野でのロケはほとんど無い。戦前から戦後にかけての話なので無理もないことですが、あまりにも変わってしまった安曇野の風景に、ドラマを見ていると複雑な気分になる。人の暮らしと自然が調和した古き時代の安曇野。住む人が誇りに思えるような美しい安曇野。便利な暮らしと引き換えになくしてしまったものは大きい。 【PR】
ビューホテルでの写真展示も明日で終わりです。期間中ほとんど会場に顔を出すこともなく、メッセージを頂いた方にお礼も言えず申し訳なく思っています。
五月は森の撮影に集中してました。改めて自然の力や自然の優しさを感じることができ「人は森に生かされている」ことを再認識しました。いい写真が撮れたかどうかは別ですが・・・ 撮影に集中してたと言ったばかりですが、少し前の撮影での出来事です。 歩き疲れるとよく森の中で眠ります。周りに落ちてる小枝を集めてカラスの巣みたいなベッドをつくります。その日は撮影三日目で、連日夜明け前からの行動で疲れてたのですぐに眠ってしまいました。何故か顔のないのっぺらぼうの宇宙人に呼ばれる夢を見て目を覚ますと、目の前に鼻から顎までヒゲ面でサングラスをかけ頭にバンダナを巻いたオッサンの顔が・・・ 「大丈夫ですか?」と顔を覗き込んだところに僕が目を覚ましたもんだからもうビックリしたのなんのって・・・「いやぁ〜 気持ちよく眠ってるとこ起こして悪かったね。」 あまり動かないので死んでるのかと思ったそうです。死体が飛び起きたら起こしたほうもビックリしたと思う。前日から誰にも会わなかったので久しぶりの会話だった。しばらく話した後「もう起きないと暗くなるよ」と言い残してそのハイカーは歩いて行った。すでに薄暗くなっており、時計をみると六時半を過ぎていた。ところがバカな僕はそれからまた眠ってしまい、次に寒さで目を覚ました時は真っ暗だった。その夜は月明かりが雪に反射して明るく、迷うような道でもないので、それからしばらく歩いて車に戻り、またすぐに眠ってしまった。そんなわけなので、どこまでが夢で何が現実だったのかもよくわからないのでした。 ![]() 夢で見たのっぺらぼうの宇宙人。ヒゲ面にサングラスにバンダナのオッサンもよく考えてみれば顔がない。それが夢に出てきた宇宙人の正体なのか? だとすれば僕は、目を覚ます直前に無意識のうちに顔のないオッサンを見たことになり、それから目を覚ますまでのほんの短い時間に夢って見るもんなんだと変なことで感心したのでした。 撮影から戻り、留守の間にたまった新聞を読んで思いました。あの出来事も全部夢ならいいのに・・・でも現実は甘くない。原発は最初からすでにメルトダウンしていたということで、現在まで放射能をまき散らし続けており、流し続けた汚染水は膨大な量で今も止まらない。放射能が拡散し続けるのに対し、少し前まで誇っていた日本の技術も、なす術もなく避難することしか出来なかった。 何が安全で何がクリーンだ! 人類の文明だの技術だのと言っても結局のところ自然がタダで完璧にやってくれてることを不完全な形で真似しただけのことなのだ。上下水道も治水も治山も森づくりも太陽光利用も全部そう。しかも有料で・・・ そんな未熟な人間が自然界にさえないものを創り出そうだなんて言語道断! やってはいけないことなのです。 【PR】
朝方まで降り続いた雨が上がり、今朝の安曇野は五月らしい景色を見せてくれました。標高二千メートル以上の山々には新雪も積もったようです。この季節は撮影に出かけることが多くなかなかブログの更新も出来ませんが、あんまりきれいな景色だったので、今朝撮った写真を見て下さい。今晩からまた森へ出かけてきます。
![]() ![]() ![]() 穂高ビューホテルの写真展示も今月末で終わります。昨日は四人のお客様をご案内してきました。作品を観ながら撮った本人からその時の状況を聞けてよかったと喜んでいただきました。自然や写真のこと色々と話が出来て僕も嬉しかったです。出来ることなら毎日でも会場にいたいんですが・・ ![]() 展示会場は二階の廊下です。踊り場に飾られた140センチのこの作品が迎えてくれます。 【PR】
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