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兵庫県出身
97年に信州にIターン 安曇野市在住 ホームページ 写真工房 道 リンク集 平野虎丸のブログ 林野庁の林業暴走 山と野鳥が大好きなAmamiさんのフォトブログ フォトダイアリー信州 安曇野通信 日本アルプスの情景 カテゴリ
全体自然 写真 山 安曇野 森林 環境 以前の記事
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生きているってことは変わり続けること。
昨日の続きです。 シラカバは種を遠くへ飛ばすことができ、草地などにどこからともなく飛んできていち早く成長する、森のパイオニア的な植生を持つそうです。近所の家の庭にも勝手に生えてきて十年程で結構立派に育った木があります。かつて森だったものを人が切り拓いた牧草地、人が利用しなくなって森に還っていくのは自然なことです。人間にとって都合のいい形に留まってはくれません。美しい風景だけが自然ではないのです。必要なものがそこに生まれ、必要なものが育っていく。自ずとそうなるという意味を知って下さい。 多くの無駄が指摘されている今こそ、自然の力を信じて欲しいのです。里山の風景とは人がそこに暮らして出来るもので、ボランティアがチェーンソーや重機を使って造るものじゃないはずです。豊かな奥山の自然と、その山と関わる人の心が戻れば、放っておいても勝手に出来るものだと思うのです。 ![]() シラカバ林といえば高原の風景ですね。美しいけど、なんとなくひ弱な感じがします。確かに強風で折れたり、雪や氷の重みに耐えきれず折れたりしています。やがてより強い雑木林へと遷移して行くのでしょう。これも森のパイオニアとしてのシラカバの役割なんでしょうね。 この秋、森で何度も大雨に降られたり、ブナ林を縫うように流れる溪を数年振りに歩きました。悪天候のときほど森の役割や生命力をより強く感じることができるものです。あれから何度も大水が出たのでしょう、以前とは溪の様子も大きく変わっています。激流は草木を押し流し、倒木は流れを堰き止め天然の堰堤になります。そしてそれもやがて朽ちてゆきます。自然は常に形を変え、変化しながらも生き続けています。そんな人為的じゃない自然の変化に人は感動し、生きてる森の生命を感じたくて何度でも訪れるのです。観光も本物じゃないと生き残れない。そんな気がします。 ![]() こちらはダケカンバの大木。シラカバよりも標高が高く、より厳しい環境で育っています。ちょっと怖いような力強さです。山の自然をよく見て、そして感じて下さい。必要なものがそこに育つ。すべてのものに役割があるからです。 12月11日〜16日、豊科サテイ3Fのサテイホールで写真展をやります。 森の命を感じて下さい。 松本市安曇・乗鞍高原の住民らでつくるNPO法人「北アルプスネイチャートラスト」は13日、かつて草原だった乗鞍高原の風景を取り戻そうと、一の瀬園地内の区有林で立ち木の伐採をした。樹齢30〜50年のシラカバ約50本をチェーンソーを使って切り倒した。今年はこれで計100本を伐採。園地内の駐車場周辺は草原の風景となった。
同NPOによると、一の瀬園地周辺は昭和40年代前半まで、牛が草をはむ草原が広がっていたという。現在は森林化が進んでいるが、薪集めや牧草地利用など人間が手を入れていたかつての里山の姿を取り戻し、環境を整備して観光客を増やそうと、同NPOが2003年から作業をしている。 昨日の新聞記事からです。切り倒された立派なシラカバの写真が掲載され、かつての草原の風景が戻りつつある。と紹介されています。 う〜ん、なんでそうなるのかなー なんか違うと思うけどなぁ〜 かつては薪を集めたり、放牧したり、そこに人の暮らしがあったから草原の風景があったのです。そんな暮らしを取り戻そうというならわかるけど・・・ チェーンソーで切り倒して造った形だけの草原ならゴルフ場に行けばいっぱいあるのに。 さっきテレビのニュースを見てたら、霧ケ峰高原でも同じことをやってました。 ショックです。僕がおかしいのかなぁ〜? 記事の続きを書く気力が失せてしまった。今日はもう寝ます。 続きは明日・・ 昨日は一日中降り続く雨の中、すっかり落葉したブナ林の撮影をしてきました。この頃なにかと忙しい中でハードな撮影が続いています。先週は突然の雪、先々週は台風の影響で嵐のような風と雨。一般的には荒れた天候は「天気が悪い」というのですが、僕にとっては大歓迎なんです。晴れた日以上に自然の森の強さを感じます。落葉の積もる森に入れば雨の強さをあまり感じません。どんなに降ってもふかふかの大地が雨を吸収し、林床の土砂が流れ出ることはなく、森の湧き水も濁ることはありません。そして雨が上がればすぐに何事もなかったように平常の森に戻っていきます。是非一度、霧に包まれた雨の森を歩いてみて下さい。人間も動物もみな森に守られていることを実感できると思います。
それにしても最近のシャツやソックスはよくできてますねー。昔ならこの時期の雨に濡れると指先の感覚はなくなり、身体も冷えきってたでしょうが、濡れても保温力が落ちない優れもので、雨の日の撮影の必需品です。何かと新しいものや便利な機能を否定することが多い僕ですが、これは二重マル! あとなにか便利なものを一つだけ使っていいと言われたら、迷わず温水便座を選びます。ウォシュレット!もしエネルギーが尽きて電気が使えなくなっても、これだけは手放さない。自転車こいで発電してでも使いたい電化製品です。これだけ使えたらテレビもパソコンも冷蔵庫もな〜んもいらん! ![]() ![]() ![]() ![]() 滋賀県のカフェ&ギャラリーkazeでの写真展示が始まりました。展示のため、僕自身も7日に初めて行ったのですが、HPで想像してたよりさらに素敵な場所で、小作品を中心に持っていった40点全て展示してきました。店内だけじゃなく、葛川沿いの国道やそこからちょっと下るアプローチも含めて、なんとなくワクワクするような空間でした。京都東インターから161号線バイパスだとわかりやすいので、京都の紅葉見物のついでに是非寄っていって下さい。
![]() でも、ちょっと視野を広げて周りを見渡すと、どこも真っ暗な杉の人工林ばかりです。今の時期だと僅かに残る紅葉した自然林との違いがよくわかります。 葛川を挟んだ山々がもし自然のままの広葉樹で、綺麗に色づいた紅葉を水面に映していたなら・・・コンクリートで固められた川岸が自然のままで、魚や昆虫がたくさんいて、そこに野鳥の声が響いていたなら・・・どんなに素敵なドライブコースだったろうかと想像して見て下さい。そして自然のあるべき姿について考えて欲しいのです。 ![]() ![]() 熊森協会滋賀支部の皆さんには大変お世話になり多くの人と出会うことができました。また来年1月28日からの「る~む橅」での展示も決まり、とても有意義な二日間でした。 ![]() 滋賀の皆さんへのお土産にと、穫れたてのリンゴをいっぱいくれた安曇野の「いたやりんご園」の水谷さん、ありがとうございました。凄く美味しいと言って頂きましたよ。多くの人の協力で実現した県外での初の写真展です。12月23日までの土、日、月曜日と祝日のみの営業なので是非ご覧下さい。 紅葉撮影三日目は一日中雨でした。野々海高原でブナ林の撮影を終え、コシヒカリの新米をゲットするために松之山温泉へ向かった。ブナ林の下の斜面に重なり合うような棚田を見ながら町に入るとすぐに灯りのついた農作業小屋があった。ちょうど新米の袋詰め作業をしていたご夫婦は快く応じてくれた。「これはナントカ米の方だでね!」とコシヒカリにも種類があるらしく、色々と説明してくれたけど、よくわからなかった。というよりも、言葉がほとんどわからなかった。なんとか聞き取れた単語をつなげてみると、これは新潟県が推奨する病気に強い稲ではなく、昔ながらのおいしいコシヒカリだということらしい。最高の新米をゲットし温泉町で精米した時にはすっかり暗くなっていたので、この米を炊くのは明日のお楽しみということにした。
![]() 雨は夜中も降り続き、翌朝は激しい風の音で目が覚めた。台風20号の影響だった。撮影のため大厳寺高原のブナ林へ向かった。ブナの紅葉はとても綺麗だったが、さすがにこの大荒れの天候では誰もいなかった。 雨は降り続け、時々バケツをひっくり返したような土砂降りとなった。唸るように吹く風は方向を変え、森を包み込む霧を一瞬で吹き飛ばしたり、再び霧に包まれたり・・・木の葉や折れた枝が真横から飛んでくる。普通ならとても撮影どころじゃないと思うが、僕にはとても魅力的な森の光景だった。傘はあっても、カメラを濡らさないことが大事なので、身体は雨に打たれっ放し。頭からパンツの中までびしょ濡れ。ここまで濡れるともうどうでもよくなりむしろ気持ちよくなってくる。快感に近い感じ。激しい風雨に抵抗するように時々奇声を発し、誰もいないのをいいことに、まるで野生に返ったようで楽しい撮影だった。膝をついたり、転んだりで泥だらけ。もし誰かが見てても、ちょっと近寄りがたい雰囲気だったかもしれない・・・ 撮影を終えて森を出た時には午後二時を過ぎていた。朝の六時から八時間もの間激しい雨に打たれ続けてたことになる。さすがに疲れた。あんなに楽しみにしていたコシヒカリのことはすっかり忘れてた。ホントは朝の撮影を済ませたらそうそうに切上げ、高原に戻ってご飯を炊く予定だったのに・・・ 大荒れの森の光景にすっかり夢中だった。このところ写真展などで、以前ほど撮影に出られなかったが、やっぱり僕はカメラマンだったことに少しホッとした。 せっかく持って行ったガスコンロも圧力釜や茶碗も無駄だったけど、冷えきった身体のまま雨の中で炊飯をする気にはなれず、水は汲んであったので後は家に帰ってからのお楽しみということにして急いで高速を飛ばしたのでした。 さて、森の水で育ち、ブナの湧き水で炊いたコシヒカリの新米の味は? ![]() もう最高!釜を開けると甘い香りが部屋中に広がり、炊きあがったご飯の色は白というよりも、ピカピカでメタリックな感じ。銀シャリという言葉はここから来たのだと初めて知ったのでした。一年前にあのオジサンから聞いた言葉はウソじゃなかった。「おかずなんかいらない!」いや、おかずなんか食べてたらご飯がもったいない!そんな気さえする、これまで生きてきた中で最高のご飯でした。 この日体験した暴風雨のブナ林とコシヒカリ。雨水を受け止める森と、飲水を創り出す森。自然林の大切さをあらためて感じた貴重な一日でした。 先週の土曜日から四日間、信越境のブナ林を歩いてきました。この秋の紅葉撮影のメインイベントですが、今回は撮影以外にも楽しみにしていた目的がありました。栄村の野々海高原から深坂峠を経て松之山に向かう道の途中にブナに覆われた三方岳、天水山の山腹から湧きだす美味しい湧き水があります。数台分の駐車スペースがあるだけで看板も無く、車もあまり通らない場所ですが、この水はホントに美味しく、ここを通るたびにポリタンクに汲んで行くのが恒例なのです。
話は一年前に遡ります。 いつものようにこの場所に立ち寄るとすぐ後から2台の車が続けて止まった。 地元の人らしきオジサンが素早く僕の後ろにタンクを置き、また車に戻って次々とタンクを並べ、僕の後ろに大きめのタンクが7つ並んだのでした。 「先でよかった〜」と思いながら水を汲み終えると、2台目の車から小さなペットボトルを持ったオバサンが下りて来て、「ここの水は有名なんですか?美味しいですか?軟らかいですか?」と、いきなり僕は質問攻めにあった。 「有名かどうかは知らないけど、美味しいですよ」と答えた。 僕たちの会話を聞いていた7つのタンクのオジサンはチラチラとこっちを気にしてるようだが、黙って水を汲み続けている。ずらりと並んだタンクを見ながら、小さなペットボトルを握りしめたオバサンはあきらかにイライラしていた。 一緒に車から降りたご主人もまた車に乗り込んでしまった。 僕はペットボトルを指差し、「それだけですか?」と訊くとそれを受けとってオジサンに「ちょっとゴメンね」と言いながら割り込ませてもらった。 怖そうに見えたオジサンは愛想よく「いいよ!」と答えてくれた。 「な〜んや、いいオッサンやんか!」 その場の雰囲気が一気に和み、「アンタたち何処から来たの?」と、オジサンはその水のことを喋り始め、そのうち地元で穫れたコシヒカリが最高だと、地元自慢まで始まった。ご主人も再び車から降りて来て、東京から来たという夫婦は「美味しい!軟らかい!」を連発しながら水を飲んでいた。こうなると僕の出番はないので、盛り上がってる二人に感謝されながらその場を離れた。 それにしても、無口そうに見えたけど、よく喋るオッサンやったなー。それならさっき、僕が質問されてるときに答えてくれれば良かったのにー!オジサンもホントは話したくてうずうずしてたんでしょう。なんかちょっといいことをした気分でした。 ところで、オジサンの自慢話の中でどうしても気になったことがあったのです。それは「地元で穫れたコシヒカリの新米をこの水で炊けば旨いのなんの!おかずなんかいらねえよ!」という言葉でした。だからわざわざこんな所まで上ってくるんだそうです。ブナの森の麓で穫れたコシヒカリの新米を、ブナの森の岩盤から湧きだす水で炊く・・・そりゃー美味しいに決まってる!そんなご飯食べて、この水飲んでりゃ病気もしないって! テレビでよく見る一流シェフのどんな高級料理よりも食べたい!心の底から羨ましい!と思ったのでした。ブナ好き、ご飯好きの僕としては黙って聞き流すわけにはいかない!そこで一年後の今回、新米の収穫時期に合わせての撮影旅行となったのです。 さて、ブナの水で炊いたコシヒカリの味は? 続きは次回に・・・ ![]() 今年の紅葉は例年になく綺麗で、各地の名所は観光客で賑わってるようです。僕がよく撮影に出かける新潟との県境付近の森は道幅も狭く、場所によっては舗装もしてなかったり、観光施設と呼べるものも何もないけど、森への関心が高まっているせいか、ブナ林を訪れる人は年々増えてます。何もないからいいのです。写真を撮る人、絵を描く人、キノコや山菜を探す人、鳥の声を聴く人・・・
自然の中では楽しみ方は人それぞれ。何時来ても、何度訪れてもその度に違う出逢いがあるもので、飽きることはありません。大きな予算をかけて立派な観光施設と広い駐車場を造っても、最初は賑わうかもしれませんが自然がなければ後は続きません。そんなに大きなお金は落ちないかもしれませんが、コストをかけずに何度でも自然を楽しみに来てもらう。「細く、長〜く」これからの観光の基本でしょう。 ![]() 前回に続いて山桜の紅葉です。すぐに落葉し、やがて冬枯れの風景・・・ そして春、満開の花を咲かせた時、喜びは何倍にも大きくなります。 この山桜、咲いた姿はこちら 山の自然はお金をかけなくても、季節が、天候が風景を一変させてくれます。近頃は外国人のハイカーも多くなりました。言葉は違っても自然への感動は共通です。日本の四季の変化は世界に誇れる大切な観光資源だと思う。そういう面からも自然林の大切さを見直して欲しいですね。 タイトルを見れば何のことかと思いますね。日曜日の新聞に目を疑うような記事が出てました。それは長野県上田市で行われたイベントを伝える記事です。
ウマいシカ肉「馬鹿バーガー」 上田市小泉の半過地区住民有志らが、市内で駆除されたシカの肉を使ったハンバーガー「馬鹿バーガー」を作り、17日、地元の親水公園「川の駅」であった交流イベント「秋穫祭」で約二百食を振る舞った。親子連れなどが興味深そうにほお張った。「うまいシカ肉」と「馬」「鹿」を掛けて名付けた馬鹿バーガーは、シカ肉のミンチと地元産トマトやタマネギをバーガー用のパンではさんだ。米や小麦粉で作った薄焼きで肉をはさむ「うすら馬鹿バーガー」も用意した。 以下省略 で、ハンバーガーをほお張る女の子の写真が掲載されています。 ウマいと馬、鹿を掛けてなんて、今どきの小学生でも言わないセンスの無さはともかく、人間のエゴで殺されて喰われるシカをバカとかウスラバカとはね。まったく狂ってます。いい加減にしないとホントにバチが当たるね。 ハンバーガーをほおばる子供達はシカが殺される本当の理由をたぶん知らないでしょう。可哀想だと思っても、きっとテレビや新聞記事に踊らされてるだけの知ったかぶりの大人達が、地球温暖化でシカが増えているからとか、個体数調整のために殺さなければいけないと、そして食べてやれば可哀想じゃないんだと屁理屈を並べ、それが生態系を守るための人間の役割だとでも教えるのでしょうか。そしてまた子供達は感性を無くした見出し人間に育ってゆくのでしょう。 そしてもう一つ、偶然にもまたまた長野県上田市でのこと。今朝の新聞では怪我をしたイノシシが国道脇の歩道でグッタリしているとの通報を受け、猟友会員がナイフで刺殺したという記事と横たわるイノシシの写真が出てました。現場の様子から見て、車に撥ねられたようです。被害なしと書かれた記事に、「アホ!被害者はイノシシやんか!」と思わず突っ込んでしまいました。もしこれが犬だったら、白鳥だったら、駆けつけたのは猟友会ではなく獣医さんだったはず。そして動物の命のためにも全力を尽くす人間の無償の優しさを美談として伝えたでしょう。僕は特に動物愛護に関心が高いわけじゃないけど、シカやイノシシなど、山の動物に対する報道は悪意に充ち、優しさがありません。何か大きな力を感じます。頻繁する洪水や土砂災害、渇水や花粉被害など、次々と表面化する森林政策の失敗による被害。地球温暖化という言葉でごまかしきれない人災、その罪を山の動物達のせいにしようとする意図、害獣というイメージはそのための洗脳ではないかと感じています。狂っているのは人間です。山の動物達は間違いなくその犠牲者です。実際に畑を荒らすのはシカやイノシシでも、結果には必ずそうなる原因があるはずです。見出しに踊らされずに真実を感じてください。 ![]() 今日、撮影の帰りに白馬で温泉に立ち寄った。平日のせいかガラガラで、露天風呂にただ一人いた髭面の先客に話しかけられた。岡山から来たそうで、よく見ると僕よりもずっと若いことがわかった。撮影の帰りで、ブナの紅葉を撮影して来たというと、森に関心があるのかいろんなことを訊かれた。長野県の森の状況や森林での雇用のこと、「やっぱり山は崩れていますか?」と訊かれて、僕は高所や急斜面に植えられ崩れていることや、補助金で間伐しても搬出されずにそのまま放置されている実情や、いま見て来たばかりのブナの森の話をした。するとその人は「実は、岡山で森林組合の仕事をしています・・・」
どうりで森の話に興味があるはずだ。それから僕は、僕のいう森と林業でいう森とは同じ森でもまったく別物だと、そしてブナの森の保水力やけっして崩れない森の強さを話した。幸いにも彼は林業に就いてまだ半年とのことで、半年やってみていろんなことに疑問に感じており、それでブナの話に興味があったそうです。補助金頼みで間伐をしているけど、伐った木材の行き場が無いことも、植えれば崩れることも、これがホントの森じゃないことも現場の人間は感じています。このまま崩れるに任せて放っておけばいいという人もいるそうです。 彼は三年間農業をやっていたそうですが、森づくりという甘い言葉に誘われて林業に興味を持ったと言っていました。雇用対策と割り切ってみても、将来のある若者にはつらい現場です。一緒に風呂から出て別れる時に、「半年やってみてよくわかりました。今日は話が聞けてよかった」と言い、「これからどうするかなー」と言いながら車に乗り込んで行きました。 それにしても、林業に就いて半年、森づくりに疑問を感じていた若者と、ブナの森での撮影帰りの僕とが露天風呂で偶然に出逢い森の話をするなんて、なんか不思議な出来事でした。 ![]() 今回の撮影は紅葉シーズンで人も多いので、二日間ずっと溪へ下り渓流の中を歩いてました。背負う機材は出来るだけ軽く、ということでデジカメを持って行く余裕はありませんでした。これは昨日の朝、溪へ下りる前に撮影したブナ林の夜明けです。明け方まで降っていた雨のせいで霧が湧き上がり幻想的な朝でした。愛用のペンタックス6x7はとても重いのですが、大事な撮影ではやっぱりまだまだフィルム派です。 伐採した木 効率よく搬出するルート
作業路整備 コスト減へ 数日前の信濃毎日新聞の記事です。 長いので要約すると、県南部の飯田下伊那地方の森林組合が作業路開設研修会を開き、林業事業者らが昨年度から林野庁が全国で普及を本格化させている作業路敷設方法「四万十方式」を学んだ。この方式だと従来は道を設けられなかった急斜面に対応でき、組合では急斜面も含めて作業路を整備し、大型林業機械を活用すれば効率化出来ると判断。本年度、機械2台を導入した。 やっぱりって感じです。作業路整備の次は林道整備ですか?言うまでもないことですが、山は標高が上がるに従い勾配はきつくなり面積は狭くなります。裾へ下りるほど勾配は緩くなり面積は増える。急勾配の斜面で効率のいい木材生産が出来るはずが無いのです。それどころか搬出の容易な場所で間伐された木材さえ搬出されずに放置されてるのが現状です。記事によれば、幅2〜3メートルの道をきめ細かく造るということですが、どんな工法にしても急勾配の道が崩れやすいのは確かだし、この地方で問題になっているシカの食害についても、増々シカの行動範囲を広げることにもなります。 戦後の過剰な植林により自然林は激減し生態系に大きな影響を与えています。各地で動物による食害問題が起きています。山は保水力を無くし、急斜面に植えられたスギは倒れ、土砂崩落は止まりません。花粉症患者は増え続けています。これだけの被害を与えながらまだ、大型機械を導入し、作業路を造り急斜面での植林を続けるのでしょうか? ある林業者の声が紹介されています。 「現在の木材価格では搬出コストと同程度にしかならず、事業収入と森林所有者への還元分は国や県の補助金に頼ってる状況」 まさに役人や森林組合が給料を取るための林業。補助金頼みの林業の現実です。自然林を伐採して林業をする意味はまったくありません。税金で自然を破壊されるぐらいなら、何もせずに次の仕事が見つかるまでの手当として補助金を貰ってもらう方がまだましです。 県内は険しい山に広がる人工林が多く、作業路整備のノウハウは遅れているという。関係者によれば「生き残りに不可欠」とのことですが、現在の木材の価格や需要を受け入れ、植え過ぎた人工林を元の自然林に戻し、時代に沿った林業に転換することが本当の意味の生き残りだと思う。 久しぶりに撮影に出てました。このところ睡眠不足で疲れ気味・・・ 昨日の昼過ぎ、空き地に車を停めてちょっと昼寝のつもりが、雨音で目を覚ますとすでに真っ暗。「まあ、いいか」と、そのまま眠り続けて17時間。でも日頃の行いが余程良いのか、それとも写真の神様が憑いてるのか?目が覚めると雲が切れ青空が広がりました。 ![]() 絵に描いたような景色でした。どちらも10/11、蓮華温泉へ向かう道路より撮影 ![]() 滋賀県で写真展を開催することになりました。場所は僕もまだ行ったことないんですが、カフェ&ギャラリーkazeという市街地から離れた田舎にある喫茶店です。HPを見れば、木の香りが漂ってきそうな洒落たカントリーハウスです。郊外で週末だけの営業ということで、それほど大きな集客は望めないと思いますが、自然が大好きなアウトドア派の人に見てもらえれば嬉しいです。
どうしてここでやることになったかと言うと、きっかけはこのブログ。ブナの写真を見てくれた女性からのメールでした。自然林の復活を目指して活動する熊森協会という団体の滋賀支部のメンバーの方でした。ここでも何度か紹介した「クマともりとひと」という本を送って頂き、彼女達の存在と活動を知り、感動し勇気づけられました。友達のメンバーも含めた彼女達との交流が始まり、安曇野での写真展にも遠くからわざわざ来てくれたり、教えられたり、意見をもらったりと、頼もしい方々です。その彼女達の尽力で今回、写真展ができることになったのです。連絡をいただき、場所も見ないままに即OK! やりましょう!ってことになりました。最初のメールをもらってから一年半、このブログがきっかけで生まれた小さな交流から始まったことが嬉しいです。 熊森協会との初めての写真展です。滋賀県の山も長野県と同じく壊れているようです。豊かな森を取り戻すためには、まず本物の森の姿を知ることです。僕には写真で伝えることしか出来ませんが、写真を見た誰かが森へ足を運び、そこで何かを感じ、森や自然のことを自分で考えるきっかけになれば嬉しいです。 ![]() 十月末、紅葉のピークを過ぎ、静けさが戻った鎌池の朝です。晩秋のブナ林の深いレンガ色が好きです。 動物や昆虫達の異常行動が報じられています。クマやシカやスズメバチも山を追われて人里へ下りて来ます。エサがなければ畑も荒らすし、いきなり人に出くわしてパニックになったり、動物たちは異常でもなんでもなく、そうさせているのは人間です。そんな動物たちを捕殺したり、わざわざ山へ出かけて行っては個体数調整などと称して駆除しています。生態系のバランスを崩しているのは人間の欲、行きすぎた経済活動です。地球温暖化などと大げさなことではありません。中でも過剰な植林や、手入れや整備も含めて林業の奥山への進出によるところが大きいのです。バランスを取り戻すには山での活動にブレーキをかけるしか方法はないはず。にもかかわらず、地球温暖化で動物たちの行動が異常だと、動物たちに罪をなすりつけ、他の生き物を殺すことでバランスを取り戻そうなどと、まったく狂ってます。動物と人間、異常なのはどっちでしょうか?
動物も植物も昆虫も、どんなに小さな命でも必ず何らかの役割を持って生まれて来ます。不要な命など一つもありません。それらが複雑に絡み合い、変化を繰り返しながら長い時間をかけて出来上がったのか現在の生態系バランスです。そうなるのが自然というものですが、誰かが創ったとすれば奇跡というほかありません。明日のことも予測出来ずに同じ過ちを繰り返す人間ごときに作れるものではないのです。 人間というのは、あらゆる動物の中でも一番危機を察知する能力がないようです。動物というのは危機を察知して逃げることは出来ても、危機そのものを回避することは出来ません。だから警告しているのです、異常ともとれる様々な行動で人間に危機を知らせているのでしょう。生き物たちの無言のメッセージに耳を傾けることは動物愛護じゃなく人間にとって大事なことです。 ![]() いきなりこんな季節外れの写真です。というのも、11月7日から滋賀県で森の写真展をすることになりました。初めての県外での写真展です。 行きずりの瞬間(とき)in 滋賀 詳しくは次回に。 NHKの番組でスズメバチの放送を見ました。
緊急報告!街の殺し屋スズメバチ被害急増中 それにしても殺し屋とは、ちょっとかわいそうな気もしますが・・・確かに撮影で森に入って一番怖いのはクマよりもスズメバチです。一匹、二匹でも見かけると緊張します。そんな時には耳を澄まして音を聴きます。近くに巣があるとブ〜ンと唸るような音がするのですぐにわかります。そんなときは迷わず大きく回避することです。クマもスズメバチもこちらから近づかなければ大丈夫。耳を澄まして音を聴き、鼻で獣臭を感じる。人間も元々は動物、危険を察知するための五感と言うものがちゃーんと備わっているのです。ところが最近ではヘッドフォンのせいで難聴の人が増えてると言います。花粉症で鼻が利かない人も・・・便利すぎる暮らしの中で危険を察知する必要がなくなったのか、そうゆう能力がどんどん退化しているようです。 ついでに別の番組で卵の賞味期限のことをやってました。何日まで生で食べられるのか?食品の賞味期限のこともよく話題に上りますが、僕の結論は「そんなことは食べてみればわかる」ということです。冷蔵庫の中で怪しいものを発見したら、まず臭いを嗅いでみる。食べてはいけないものはそれなりの臭いがするし、形も色も、まず食べる気がしないものです。目と鼻を通過しても今度は舌があります。腐った卵や牛乳は絶対に喉を通りません。味覚というのはグルメのためにあるのではなく、ホントは危険を察知するためにあるのです。 現代社会にはウソや詐欺、誘惑、プロパガンダなど、五感だけではわからない危険がいっぱいです。第六感というやつを磨かなければいけません。 ![]() 十月に入り、紅葉の話題もお多く聞かれるようになってきました。今年の紅葉は例年になく綺麗だそうです。最近忙しくてなかなか撮影に行けてませんが、なんとか時間を作って出かけてみたいと思います。 現場状況を見たり聞いたりして原因を考察することはそんなに専門的な知識が無くても、普通の大人なら誰でも出来る。たとえ人から、あるいはメディアから得た情報でも、今の時代はネットなどを活用すれば更に詳しいことまで考察出来ると思います。それなのに・・・
昨日の新聞記事を見て呆れてしまうというより、笑ってしまいました。 乗鞍岳登山道に「渋滞」 目立つクマよけの鈴 まさかクマ騒動のおかげで賑わったわけではないと思うけど、クマは人に気づかずに出てきたわけじゃない。クマといえば、凶暴!襲われる!クマ除けの鈴!と余りに短絡的です。あの場所でバスから降りた何百人もの観光客がいっせいに鈴を鳴らす姿を想像しただけでゾッとします。何の考察もせず、ただ新聞の見出しに踊らされるだけ。クマのことだけじゃありません。森が荒れていることも、山が崩れる原因も、水が涸れる原因も林業不振も鳥獣被害も・・・みんなちょっと考えれはわかることばかりです。自分で考えれば、報じられているウソに疑問を持つはずです。 今回の民主大勝もその前の郵政自民の大勝もそうでしたが、それぞれが自分で考えないと、この国はいつまでたってもマスコミとその後ろにある大きな力に支配されたままです。昔と違って、考える材料はいくらでもあるのですから。 見出し人間 吉田拓郎さんが三十数年前に唄った「ひらひら」と言う曲に出て来る言葉です。 おいらもひらひら お前もひらひら アイツもひらひら 日本中ひらひら ![]() 安曇野は今、いたるところでコスモスが揺れています。 今朝もテレビで乗鞍岳の映像が出てました。新聞でも、クマが人を襲った!噛みついた!大暴れ!と凶暴性を強調するような報じ方です。その場にいた全員が車に避難したという、まるで機関銃を乱射しながら立てこもった犯人のようです。
現場となった乗鞍岳というのはいくつものピークの総称のことを言います。クマが出た畳平というのはその中心に位置し、周りを富士見岳、大黒岳、魔王岳、摩利支天岳などの小さなピークに囲まれています。どれも15〜20分位で簡単に登れるピークです。標高2700メートルの畳平にはハイマツ以外に樹木は無く、クマのエサも隠れる場所も無いため、常時棲んでいる場所ではありません。時々遊びにきていたようです。そこへ連休の人出が一気に押し寄せ、周りのピークにも多くの人が登ったため、気がついた時には、囲まれ、逃げ場を無くしてパニックに陥ったようです。気が狂ったように魔王岳の斜面を駆け下りてきたということです。きっと人間もそんな状況になれば同じことをするのでしょう。四方を敵に囲まれ、退路を断たれた武将が最後に覚悟を決め、刀を振りかざし、鉄砲隊が待ち構える敵陣中央に向かって突撃していく映像が浮かび、なんともやりきれない気持ちになりました。標高2700メートルのここまで何台もの大型バスで乗りつけて我が物顔の人間。9人の方には気の毒ですが、一番の犠牲者はいつも野生動物です。それにしても、野生動物が置かれている状況や問題の本質には触れようともせず、興味本位で面白おかしく書き立て、まるで捕り物劇のように映像を流し続ける報道には優しさを感じません。 それでも今日、ちょっとだけいいことがありました。たまたま会ったおばあちゃんとこの事件の話題になり、昨日の新聞記事を見たというおばあちゃんが言いました。「動物は悪くない、人間が悪いのよ。まるで漫画を見てるような嫌な記事だった・・・。」 ごく普通のおばあちゃんのこの言葉に僕は少し救われたような気持ちでした。 好天に恵まれた今日、ガイドの仕事で乗鞍へ行ってきました。松本から上高地方面への道路は大渋滞でした。途中で乗鞍方面への分岐を折れ、やっと渋滞から解放されたものの上高地へ向かう車の中には途中で諦めてUターンして引き返す車もあり、何時になったら着くのやらという感じでした。乗鞍エコーラインは通行規制のおかげで、一般車両はなくガラガラの状態。一般車両が高山方面に抜けるには有料の安房トンネルか峠を越えるしかなく、いずれにしても上高地へ向かう車と同じ渋滞に巻き込まれるわけで、なんか納得出来ないものを感じました。自然保護の大義名分のもと観光地の道路から一般車両を締出そうとするやり方も考え直した方がいいかもしれません。
標高2700メートルの畳平は昨日のクマ騒ぎの余韻が残り、TVの取材が何社も来てました。話題はそのことばかりで、僕がネクタイ姿でカメラを持っていたせいか取材記者と勘違いされたようで、目撃してたと言うオジサンがクマが逃げ込んだと言う建物に案内し、状況を詳しく説明してくれ、僕も違うとは言い難くなってしまい、とうとう最後まで記者のフリをしてしまいました。昨日から何度も取材を受けてるようでオジサンもかなり興奮してるようでしたが、クマはさらに興奮してたようです。連休で賑わう山で大勢の人に囲まれ、パニックに陥ったようです。ああなったからには射殺されてしまったのも仕方がないのでしょうが、人間により行き場をなくした野生動物の哀れな最後です。 ![]() ![]() こんな賑やかな場所に、こんな岩だらけの山から・・・ ![]() この中に閉じ込められ暴れ回ったとか・・・そしてここで射殺されたそうです。 山には人間が立ち入ることのない聖域が必要です。 ![]() 乗鞍から見た穂高連峰の今日の様子です。紅葉撮影の参考にして下さい。 いよいよ民主党による新政権が始まります。与党が変わったところで元々は皆、自民党。何も変わらないという声も聞こえてきますが、これまで総理大臣がコロコロ替わっても何も変わらない、そんな政治にいかに慣らされてしまったかということです。とは言え、これだけの支持を得て実現した政権交代には、とうとう国民の怒りが政治を変えようとしているのかという期待と同時に、相変わらずマスコミに支配されているだけなのかという不安も感じてしまいます。
早くも子供手当や高速道路の無料化に対しては批判的な見方も多く、達成出来なかった時には、公約違反だと煽り立てるマスコミが手ぐすねひいて待ち構えてるでしょう。問題は山積みです。でも、評価すべきはそれらを無駄を無くすことで達成出来ると言い切っていること。それこそ必死なって、これまで野放しにされてきたムダ遣いに切込むでしょう。どれだけ公約を実現出来るかということよりも、まずは、これまで国民に知らされていない無駄をどれだけ明らかに出来るかに期待したいところです。 何かが変わろうとしています。でも、この世の中がすぐに良くなるわけはなく、変化の前には更に悪くなることもあります。既に無駄のうえに成立ってしまっている職業も多いことを考えると、本気で無駄を無くせば失業者は増え、経済は更に悪化することもあるでしょう。それでも日本には大手術が必要です。変化の時には、ある程度の混乱はつきものです。手術直後は一時的に前より痛くなることもあると理解し、混乱の先にある未来を信じ、過剰に煽り立てる報道に踊らされることなく冷静に見守ることが選んだ者の責任ですね。 それにしてもマスコミは、始まる前から裏だの闇だの二重権力構造だのと面白おかしく騒ぎますが、まるで映画の宣伝を見てるようです。そしてこんな時期にも関わらず相変わらず視聴率さえ獲れればなんでもいいとばかりにタレントのスキャンダル報道に熱心ですが、もしも鳩山総理誕生の日にのりピーが保釈されたらどうするのか、まさかのリピーが一面を飾るということはないでしょうが、それでも拘置所前にTVカメラは殺到するのか、密かに注目してます。 良くないことと知りながらも、やめられないのが覚醒剤中毒なら、本当の使命はそんなことではないと知りながら、安易に視聴率が獲れるスキャンダル報道がやめられないマスコミもまた中毒です。 ガラにもない話でした。あとはのどかな安曇野の風景を・・・ ![]() ![]() 手入れ不足 山腹崩壊 昨日の新聞に大きな見出しの記事が出ています。この夏も多くの土砂崩れが各地であり、長野県でも8月に諏訪市を中心にした豪雨災害がありました。この記事では個人所有で手入れの進まないカラマツの人工林などで大規模な崩落が起きていると伝え、「山腹崩壊そのものを起こさせないことが重要」と、森林組合や学者の言葉を借りて森林整備の重要性を訴えています。 大きな勘違いです。手入れをしないから崩れるのではなく、人工林だから崩れるのです。植えてはいけない急斜面にスギやカラマツなどの倒れやすい樹を植えたから崩れるのです。植える以前の自然林ならこんなことはないのです。林道を造って手入れをする必要もありません。急勾配の斜面には、そこに適した樹が生えてきます。深く根を張り、倒れない広葉樹の森が山を守るのです。それが太古の昔から続いて来た日本の山であり、自然とはそういうものです。それを人間だけに有益な人工林に変えてしまったことからすべての災害は始まっています。整備をして土砂崩れを防ぐという考えは、砂防ダムや堰堤など、コンクリートで災害を防ぐのと同じく、その場しのぎの場当たり的な対策でしかありません。いつまでたっても崩落と補修を繰返す悪循環です。莫大なカネがかかり、そしてそれらの工事に関わる利権の温床となります。本当の意味で山腹崩壊そのものを起こさせないためにはどうすればいいのか?それは崩落の本当の原因を明らかにし、整備などと言うその場しのぎの対策ではなく、時間はかかっても永遠に持続可能な本物の森を取り戻すことしかありません。狭くて急峻な日本の国土をずっと守って来た自然の森に学ぶことです。そのためにもまずは本物の森を見て、その役割を理解し、一人一人が守りたいと願うことが大切です。 ![]() 7月の写真展 行きずりの瞬間(とき) 伝えたいことがあるから・・・ HPにアップしました。作品販売のページも新しくしたのでこちらからご覧下さい ここ数年、とても暑い夏が続いてましたが、今年の夏は短かったですね。暑いのが苦手な僕にとっては楽な夏でした。嫌いじゃないけど弱いのです。夏に生まれたとかは関係ないようです。というわけで、夏の写真も苦手です。他の季節に比べても圧倒的に夏の写真は少ないです。「今年は夏の写真を!」といつも思うのですが、今年も果たせず夏が終わってしまいました。自然との出逢いにシーズンは関係ないというのが僕の基本的なスタンスなので、シーズンオフという言葉は使いたくないのですが・・・それでも、夏でもなく秋でもないこの時期、何処へ行こうかと考えてしまいます。
![]() 深い深い緑一色のブナの山でした。 日中はまだまだ暑いけど、朝晩は涼しくなってきました。安曇野はすっかり秋の気配です。この「気配」という言葉が好きです。鮮やかなピークの紅葉もいいけれど・・・なぜかそれを感じる写真が好きです。別に秋に限った言葉じゃないけど、やっぱり秋を感じます。
秋の気配を感じたくて・・・そろそろ出かけてみたくなる季節です。 ![]() 今朝の安曇野の空です。 季節の変化を感じる朝でした。 軽薄なジャーナリズムはゴシップに飛びつき
適当に騒いでトンズラ決め込む〜 軽薄なTVディレクターにはなりたくな〜い 軽薄な新聞記者にはなりたくな〜い♪ いきなりですが、亡くなった忌野清志郎さんの曲「軽薄なジャーナリスト」の一部です。この夏、ジャーナリストというより、ほとんど芸能レポーターと変わらないくらいに見事に大騒ぎしてたわけですが、軽薄じゃない本当のジャーナリストの方々にもう少し騒いでもよかったのに・・・と思うことがありました。 災害やスキャンダル報道で大騒ぎしている中、64回目を迎えた長崎の平和祈念式典がオバマ大統領のプラハでの演説を受けて大いに盛り上がり、街頭で、大統領の長崎訪問を要望する署名活動が五万人を目標に行われているというニュースがあった。でも、その場にいた誰からもコメントは無く、そのニュースはそれだけで終わり、翌日以降聞くことはなかった。いつものようになんとなく聞いてたけど、それって長崎や広島だけの問題か? 一億人もいるのに、たった五万人でいいのか?と思ったのでした。 核廃絶か、抑止力として保有するのか、それぞれにいい分はあるようですが、いずれの立場でも、もしそれを使ったらどんなことになるのかを知ることは大事なことです。頭でわかってるよりも、現場を見て、体験者の生の声を聴いて感じたことは理屈よりも遥かに強いのです。オバマさんに限らず、核保有国の指導者は皆、広島、長崎を訪れるべきかもしれません。そしてそれを訴え続けるのは、唯一の被爆国であり、尚且つ核を持たない日本にしかできない役割です。もしもTVがそのニュースを取り上げ、のりぴー並にとは言わないけど、もう少しそのことの意義を報じていたら、長崎だけじゃなく全国からその何十、何百倍の署名が集まるでしょう。 原爆投下についての認識の違いなどから、アメリカ大統領の長崎訪問が簡単じゃないことくらいは無知な僕でも知ってるけど・・・これまでの大統領とは違い、実現へ向けての一歩にはなったはずです。なぜもっと強く望まないのか?衆議院選挙を控えたこの時期にそんな話題はマズいと言うことなのか・・・・・ 原爆投下から六十年以上経過し、当時の痕跡は年々風化していきます。実体験を語れる人もあと何年かでこの地球上からいなくなります。それらを記録し、伝えることは、映像という武器を持つTVに出来る大きな役割だと思う。平和祈念式典や終戦記念日、くだらないスキャンダル報道に明け暮れてる場合じゃないぞー! ちなみに清志郎さんは 軽薄な国民にはなりたくな〜い♪ とも唄っています。 前回、近頃のテレビはつまらないと言いました。ブログのネタにもテレビの話はよく出てきます。ということは、実は僕はテレビを良く見てます。ネットを見るより遥かに長い時間テレビを見ます。見るというよりも聴いてるという方が正しいような状態ですが・・・。情報を自分で選択できるネットと違い、良いことも悪いことも関心の有る無しに関わらず流れてくるテレビの情報は、バランスを保つ意味では大事な情報源だと思っています。いくらネットが広がってもこれは変わらないと思う。
ネタとして取りあげると文句を付けることが多く、どうしても愚痴っぽくなりますが、もちろんいい番組もいっぱいあります。この時期放送される終戦記念特番などは、戦争を知らない僕たちの世代に戦争の悲惨さや、風化させてはならない事実を伝えてくれ、平和への思いを新たにさせてくれます。特に最近のドラマはこれまであまり語られなかった事実や視点を変えた見方をしたものが多く、興味深く見ています。言葉で伝える事実よりも、たとえフィクションでも、映像が伝えるものの大きさを感じます。これがテレビの力であり、大きな役割だと思う。それなのに・・・ この夏、これらの素晴らしい番組を掻き消すくらいにつまらないニュースが流れ続けてました。酒井法子さんの事件です。一時は報道番組を含めてどのチャンネルもそればかり。まるで阪神大震災並みの報道でした。彼女の失踪後の行動や生い立ち、しまいには夫婦関係まで。いまだにやってます。ある女性コメンテータがこう言ってました。「これだけ世間を騒がせた割にはたいした罪には問われないんですね・・」元々たいした罪でもない事件を興味本位で煽って大騒ぎしたのはアンタらやんか!他にもっと報じることがやるやろ!と思ってました。 たとえば災害報道では、被害の大きさを競うような映像ばかりじゃなくて、国民の多くが知らない土砂崩れの本当の原因や人災の可能性などについて。のりぴーの夫婦生活を検証するよりもしっかり検証してもらいたいことはいっぱいあるのに・・・大きく煽って大騒ぎしてもらいたいことは他にもあるのに・・・ 国民の知りたいことを伝えることがマスコミの役割だと言うなら、知らせるべきことを伝えるのは誰がするのか?少なくともジャーナリストと名乗る方の番組くらいはそうであって欲しいと期待するのも無理なんでしょうかね。 60年経った後にいいドラマを作ってくれるよりも、今、世の中を動かせる報道をテレビに期待します。 ![]() 綺麗な清流を守りましょう!と百回言うよりも、一度でいいから見て欲しいと思います。きっと誰でも守りたくなるでしょう。それが写真の力だと信じます。 二年後の完全デジタル化に向けて、テレビ離れを防ごうとPRが盛んです。あの手この手で買い替えを促すキャンペーンを展開しても、いくら画質が良くなっても、肝心のテレビ番組はどの局もみな同じで益々つまらない。使い捨てのお笑いタレントと中身の無いくだらないクイズ番組ばかり。まるでキャンペーンの足を引っ張ってるように思えるほどです。それに加えて最近の報道番組にもウンザリです。選挙を控えたこの時期に、政治家の言葉尻を捉えた挙げ足取りばかり。各党参加の討論番組では、それぞれが自己主張するだけ。誰かが喋ってる間にも、まったく聞こうともせずデカイ声で自分の主張をまくしたてる。まったく討論になってない。アホらしくていつも途中で消してしまう。中学生のホームルームの方がまだましです。
番組のつまらなさを局の方も自覚してるのか、制作費が無いのか、最近では昭和の時代の歌やアニメをネタにしたバラエティー番組が結構受けてるようです。 地上波で見られるのもあと二年、13年目を迎えた我が家のテレビはまだまだ現役。一緒に買ったVHSのビデオもまだ現役です。お金もないし、いっそ見るのやめてしまえばいいんですが・・・なんとなくテレビに腹が立つこの頃です。 残暑お見舞い申し上げます。 ![]() 今頃になってようやく安曇野に夏空が・・・しばらくは天気も安定して暑い日が続きそうです。 前回に続いてクマの話です。研究者によれば、ツキノワグマというのは木の実やアリなどの昆虫類しか食べず、本当は気が弱く臆病な動物だそうです。撮影で森へ出かけて足跡や糞を見たり、気配を感じることはありますが、実際に見かけたのはこれまで三度。いづれも視界の隅を横切ったという程度で、いつもむこうが僕に気づいて一目散に逃げていきます。なので、襲われた!という記事を見るたびに不思議に思ってましたが、思い当たることがあります。登山者やハイカーが襲われたというのを聞いたことがありません。なぜかというと、彼らは道を歩いてるからだと思います。クマに襲われたという中で圧倒的に多いのは山菜採りの人達です。中でも、ネマガリダケというクマも大好きなタケノコを採る人達。彼等のことを道端でコゴミやタラノメを採ってるような普通の山菜採りだと思ってはいけません。軍手に長靴、帽子をかぶって、首には手ぬぐいという完全装備でどんなに深い藪も急勾配の斜面も構わず滑り降りていく、まさに筋金入りのタケノコハンターなのです。
下草が生い茂る雑木林でガサガサと動き回り、クマか?と思って凝視すると、「なーんや、タケノコのオッサンかー!」てことはよくあります。あれでは、やられても仕方ないと思います。自分からクマのねぐらに近づいているのです。新聞で報じられるような「襲われた」とか、「出くわした」というのは、ちょっと違う気がします。大きな音をたてながら近づいてくる人間にクマが気づかないわけがない。きっとクマは怯えていたと思います。どんどん近づいてくる侵入者から子グマを守ろうと、必死でうなり声を上げ、威嚇してたでしょう。あたりには強い獣臭がしたはずです。タケノコに夢中でそれに気づかない人間の方に問題があります。 例えば、母と子が昼寝をしている家に包丁を持った泥棒が侵入し、母親が子供を守ろうと無我夢中で近くにあったフライパンで殴ってケガをさせたとしても、それはたぶん正当防衛でしょ。それでも人を襲ったと、母グマを捕えて殺す人間が正しいと思いますか? 新聞でクマが人を襲ったと報じられる内の多くは濡れ衣。裁判員制度も始まりましたが、報じられている声や文字の大きさに惑わされずに、クマの性質、人間の行動など、全てを考慮して冷静に判断することが重要。想像力が必要ですね。 クマが怖くて・・・という話を昨日、二人の別々の人から聞かされました。どちらも登山が趣味という二人です。確かに、山では「クマ出没!」と注意を促す看板を見かけるし、クマ除けの鈴をつけたり、ラジオを鳴らせとも書いてます。でも僕はクマ除けの鈴をつけていません。あの音が嫌いです。そんなことをしなくても動物たちは気づいています。たとえ単独行動でも人間は結構、物音を立てています。他の生き物の存在について、野生動物は人間ほど鈍感ではないと思ってます。それよりも、あの耳障りな音のせいで危険に対する重要な音に気づかないことの方が怖いのです。遠くで鳴ってるカミナリの音や地鳴り。あのブーンという音に気づかず、もしスズメバチの巣にでも近づけば、クマよりもずっと恐ろしいことになるでしょう。それに、せっかく静かな森に来てるのに、小鳥のさえずりも、風の音も、遠くのせせらぎの音なども・・心地よい音がみんな掻き消されてしまう。全員がクマ除けの鈴をぶら下げたグループに出逢うと、カラカラとまさに騒音です。撮影の集中力も途切れがち。通り過ぎるのを待ってます。
クマが怖いと言った二人に、実際にクマを見たことがあるか、山の仲間でクマに襲われたというのを聞いたことがあるかと尋ねると、どちらも無いという。マスコミの過剰な報道のせいで、山好きの人達でさえこの調子ですから、山に関心のない都会の人達は本当に「人喰いグマ」などと思ってるかもしれません。 これまでシカのことは何度か書いたけど、たまにはクマのことも・・というわけで、次回もクマの弁護をしてみます。 ![]() 4月にビューホテルで開催した写真展、ようやくHPにアップ出来ました。 [写真展示]をクリックしてご覧下さい 行きずりの瞬間(とき)〜 桜・さくら・サクラ 〜
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